こうやってみんなの体験談を読んでいると、つくづくいろんなことが起きているんだなぁと思います。97年だって、フジ・ロックがきっかけで結婚した人が身近にいたし、別れたヤツもいるんだろうなぁ.. なんて思ってます。それに、年に一度だけ、フジ・ロックで顔を見る友人とか... fujirockers.orgの手伝いをしてくれるスタッフだって、(当時はまだその名前はなかったけど)97年からこれまでいろんな人たちが顔を出している。当時、手伝ってくれた人たちは今どうしているんだろうかなんて考えてしまいます。
ともかく、みなさんの体験談は、やっぱ、楽しいし、面白いし、役に立つ。というので、体験談はまだまだ募集中。どんどん送ってください。文字数は400から1000文字で、subjectには「FRF原稿」と入れてORG-masterまでメールでお願いします。
今回は生田目真紀さんの便り。「仕事始める」といっても、それで無理だなんていわないでね。だって、仕事を持っている年寄りたち(自分も含めて)もフジ・ロックを楽しみにしているし、そんな人たちも増えてきています。なにせ、「休暇を取る」のは働いている人間の権利なんだから、(そんな権利が保護されているとは、現実には思えないけど)年に一度ぐらい、頭も身体もすかっとするような時間を作りましょうよ。
さらに、黒Jinさんから届いた体験記も加えました。あのあたりは、温泉が多いからなぁ... なんて思い出しますね。実際、orgスタッフは帰りに猿ヶ京温泉センターに行くのが恒例になっていて、いつもあそこでところてんを食べたり... さすがに、行くときにはよれませんけど。
Reported by ORG-master (March 27, 2002)
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フジロック10日くらい前、友人とフジロックについていろいろ話をしていました。べつに行く予定もなく、今年もやるね〜なんてかるーく話をしていました。くるねー、エミネム。くるねーTOOL。しかも初来日。あ、オアシスもくるじゃん。くるりも。and more... 永遠とそんな話が続き、電話をきりました。
翌日わたしは3日目のチケット、2枚手にしていました。電話の友人と意を決して、苗場まで往復600キロ、車で行く事に決めました。女2人、ドライバーわたし一人。周囲には男つれてけば〜とか苗場までつけるの?? とかいろいろ言われました。学生最後、一発思い出作り。お金がないため、3日目のみ参加。だけど、いろいろ飛び交う楽しい、面白いっていうフジマジックを体験したくて。高速代かせぎのため、出発前日フリーマーケットで服wたくさん売りました。
快調に進む愛車ちゃん。苗場は遠かった。寒かった。関越道のPAで出会う多くのフジロッカーたち。踊る鼓動。違う土地の香り。やっとたどりつけた。深夜2時。ピース。そんな空気が苗場の街にあふれかえっていた。わたしはそう感じた。駐車場に車を滑り込ませ、目の前にはプリンスホテル。苗場に来てしまった。どこからともなく聞こえる音、音楽、人の声。フジロックフェスティバルだ。長距離運転のせいか、疲れきってわくわくする気分を抑えつつ、車で寝ることに。明日はどうなっちゃうんだろう。
あつい。じりじりと熱いことに気づいておきた。3日目の朝。外に出てみる。かなりキレイな空気、空、風、太陽、鳥の声、におい。忘れていた。日々の生活のなかでわすれちゃってた。自然。気づいた。来てよかった。持ってきた水で顔を洗う。歯を磨く。キモチよかった。まだ3日目はじまってないのに、何コレ??!!
続々と集まるフジロッカーたち。わくわく。青い山々。わたしたちを歓迎してくれてんのかな。BBSで知り合ったエミネム好きの女の子に会うことにした。ケータイ使って連絡することにしたんだけど。弾む会話。おもしろかった。四角い画面で会話してた本物と今こうして目の前で話している。これもまたよし。こういう奴らどれくらいいるのかな。
グリーン中心でみたけど、楽しかった。TOOLで立ち尽くした。エミネムでヤンチャに踊って。ルーキーアゴーゴーでいとばん最後の方にでた"コックローチ"。高校のころから応援している地元出身の4人侍。フジにでるとは思ってもみなかった。久しぶりにお目にかかる彼らの勇姿はかなりまぶしかった。成長してた。鳥肌だった。地元のみんなに報告してやりたかった。苗場の夜にコック節が炸裂してた。
かえり、コックローチのTシャツを着ていた友人に一人男の子が話し掛けてくれました。 駐車場までの道、フジについて、コックについてその他、いろいろ話しました。終わっちゃうんだねって。来年また会おうって。別れました。
帰りBBS友を謁後湯沢駅まで送りました。朝4時。遠くに見える歩道橋の下で、なにやら文字が殴り書きしてあるダンボールを掲げた男の子2人がたっていました。よくみると「所沢」これもなにかの縁。通過するんでのせていくことに。朝からエミネム最前GETのために、グリーンで踏ん張ってたんだって。静かにエミネムのRAPが響く車内。少ない会話。
「普段は学生??」
「フリーターだよ」
彼らもあまり己を語らず。でもなんかフジロッカーズってことで言葉すくなかったけど、通じ合ってる気がした。
夜明け。眠い目をこすりながらの関越道。爆睡する3人を横目に、生きのいいトラックに道を明けつつ進む関越道。彼らの目的地近くのPAに車を止め、お礼の缶ジュースをもらい彼らもまた、現実に戻っていきました。熱い日差しが照りつけていました。
2001年夏。フジロック。語りつくせない数々の思い出。いまごろヒッチハイクの少年はなにやってんだろ?? コックローチ大好きなあのあんちゃんはなにやってんだろ?? エミネム好きのヒロコ(BBS友)なにしてんのよ??
ハイネケンのおねえちゃんが腕にはってくれたタトゥー。ばっちりに日に焼けて跡になったころ写真ができてきました。屈託のない笑顔... あほづらたち。今年も行きたい!
...仕事始めるし、むりかな。
letter from 生田目真紀 (March 27, 2002)
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私はフジには、'00、'01に参加させていただきました。 今回は'00に参加するための移動中で感じた事を語らしてください。
私は早朝5時に始発よりも早い電車に乗り、21時30分に越後湯沢に着くまで様々な体験をしました。栗おこわ弁当と山菜弁当がおいしかった事や、夏なので鈍行から眺めた緑がいい味を出して気持ちを盛り上げたり、また途中下車しながら、フジに行くまでを楽しみました。(みんな駅弁は要チェックやで!)
そして最終の越後湯沢駅の1つ前に越後川口という駅に乗換えで立ち寄ったのですが、当初電車の車掌さんに言われていた時刻の列車に乗り遅れてしまい、(乗り換え時間1分の上にホームが離れていました)当然、ど田舎なので、後1時間30分しないと電車が来ないと駅員さんに言われました。
途方に暮れていた時、その駅員さんが近くの温泉を紹介してくれました。そう新潟には温泉があったのです! そんな大事なことを忘れていた私は駅員さんに荷物を預かっていただき、私はゆっくり温泉に入り、翌日のフジロックに向けて疲れをとることができました。その時の温泉は人生で極上のものでした。
何よりもその駅員さんの優しさが私の疲れを癒してくれました。(当然勤務中だったのですが、ビールをお礼に上げました)多分この時温泉に入った事が、フジロックで3日間風邪も引かず、怪我もせずに生きて帰れたことにつながっていると考えます。
遠くから来る人はフジを目指すまでにいろんな事を楽しんでください!! また体調管理はきちんとするようにしましょう!!風邪を引いたら、もったいないです。
ありがとうございました。
letter from 黒Jin (March 27, 2002)
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