やっぱり97年のフェスティヴァルは大きかった。そう思います。失敗とか成功といった言葉ではなく、いろんなものが凝縮されていたという意味で。
ただ、あれから6年。奇跡的な天候の良さに恵まれて、また、97年を全く知らない人たちが増えたこともあって、軽装なままでフジに向かおうという人が増えているような気がしないでもありません。
でも、現地で働いているスタッフは、苗場の夕立でさえ、どれほどの被害を与えるかを知っています。また、大将も「ちょっとでもひどい雨が苗場で降ったら、フェスのキャンセルもあり得るだろうな」と語っています。山をなめないで寒さと雨の対策は十分にして苗場に向かってください。野宿は自殺行為です。絶対にしないでください。
ということで、そんなことを再び確認させてくれたのが☆☆☆さんからの体験談。他にもそんな人はいませんか? まだまだ体験談待っています。文字数は400から1000文字(だいたいでいいですから)で、subjectには「FRF原稿」と入れてORG-masterまでメールでお願いします。
Reported by ORG-master (April 21, 2002)
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僕は97年のフジロックを伝説化するつもりは全然ない。でも音楽の持つ力をあれほど感じれた瞬間はそれまでなかったし、その後も自分の中で常に音楽が一番大切な変えられない喜びになってるのはあの体験のおかげだと思う。そしてそれが人によっては、98年のベックやビョークだったり99年のアンダーワールドだったり去年だったらひょっとしたらパティスミスやニ−ルヤングだったりするのかもしれない。
僕は音楽好きではあったけどライブになぜか行ったことがなかった。だがある日偶然新聞のちらしで見つけたFUJI ROCK FESTIVALのメンツを見て慌てて友達に連絡をし、そして天神山スキー場にたどりついた。
ついてしばらくして、降りしきる雨の中ハイロウズが始まる。前の方まで行かなくともモッシュが起こってる。気づいたら全然知らんやつと笑顔で肩組んで飛び跳ねてた。友達ほったらかし。何やこの感覚は?ハイロウズ、フーファイターズとわけもわからないまま、とにかく今まで体験したことのない興奮が続く。
だが天候は悪くなり、山の気温も下がる一方。友達とはぐれた人や体調を悪くする人が続出し、バンドの準備の間そのアナウンスが続く。ちなみに一年目、防寒具やレインコート持ってるやつの方が少なかった。とにかく勢いで来てしまった僕みたいなロックフェス1年生が多かった。みんなずぶぬれ。だから体を暖めるには座りっぱなしで遠くから見る人がてるのはまずい。とにかくみんなが前に押し寄せた。
そんな所でとうとうレイジアゲインストザマシーンが登場。そして僕はライブ体験1日目にしていきなり人生最高のライブ体験をしてしまう。とにかくその音圧、グルーヴ、信じられない音の塊が体を打ち付ける。しかもレイジはアルバム通しで何回か2nd聞いただけ。そんな十分彼らの音楽性を消化しきってない耳で聞いたレイジは、逆に、だからこそ、まだへヴィロックなんてくくりも浸透してない97年、物凄く自由に聞こえた。とにかく彼らの音楽性がどうこう分析させる暇もなく、圧倒的な音が鳴っていた。足場もひざまで泥水に使ってるような場所でおそらく1万人を越える人がモッシュしてる。そしてその暴動のような状況で信じられない事にみんなが笑っていた! 雨とオーディエンスの熱気でスモークが立ち上がり、後半、ステージ前方はレイジが見えなくなるほどだった。
その後レッチリでフェスが終演するまで、その幸福感は続いた。今考えると台風の中最悪の状況(寝る場所ない奴はステージの上で雨よけにブルーシートを上からかぶってた!)で夜を過ごすことになったのに僕は次の日が楽しみでしょうがなかった。しかし2日目は中止。
帰ってから雑誌で見かけたフジロック大失敗の文字。でもそういう物理的な目に見えるもの以上の大切な瞬間、身の危険を超えて湧き上がってくるような衝動的な感覚や幸福感がライブにあるっていう事を初めてのフジロックの体験は僕に教えてくれた。
letter from ☆☆☆ (April 21, 2002)
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