フジロッカーズのみなさん、こんにちは。日高大将からビッグ・ニュースがあるということで、緊急インタビューに行ってまいりました。下手な前振りはなしに、とにかくお届けします。はい、どうぞっ!
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―― 日高さんからサプライズ発表があるということで、馳せ参じました!
日高さん: じゃあまず、この資料を見てよ。
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FUJI ROCK FESTIVAL ’ 09 7月25日(土) GREEN Stage
忌野清志郎 スペシャル・メッセージ・オーケストラ
NICE MIDDLE with New Blue Day Horns
仲井戸“CHABO”麗市
Leyona
Chara
甲本ヒロト
真島昌利
トータス松本
UA
Char
WILKO JOHNSON & NORMAN WATT-ROY
BOOKER T.
泉谷しげる
出演のお知らせ
※※※※※※※※※※※※?抜粋ここまで ※※※※※※※※※※※※
―― え? え? ええええええっ!! こ、これは……あはははは(驚き過ぎて意味もなく笑い出すオルグ一同)。
日高さん: そういうわけです。
―― すごいっすね……。あのニュースの時、日高さんはちょうど苗場にいらしたんですよね?
日高さん: 5月2日は、GREEN STARでやるバーベキュー・パーティーの準備で、苗場に向かっていたんだ。途中で携帯が鳴ったけど、運転中だから取らなかった。夜になって改めて電話を確認して、知ったんだよね。その夜は、俺たちだけで、俺たちなりのお酒を飲んだよ。
―― そこから、どういう流れで今回の 忌野清志郎 スペシャル・メッセージ・オーケストラ NICE MIDDLE ?with ?New ?Blue ?Day ?Horns 出演につながったんですか?
日高さん: 翌日、バーベキューの用意をしている時に、花を飾ろうと思ってさ。「ユリなんかの白い花はやめて、とにかく派手な色を買ってこい」ってスタッフに言って、清志郎くんの写真と一緒に飾った。その時かな、やろうと思ったのは。名前もすぐに浮かんだ。
―― そんな即座に!
日高さん: うん。ただ、ひとつだけ言えることは、やっぱり受け入れられないんだ、清志郎くんがこういうことになったということが。彼には連絡してなかったけど、BOOKER T.が来るって決まった時に、「体調がよければもしかして……」と思っていたし。とにかく、どうしたらいいかなって考えていた。まあでも、9日の「青山ロックン・ロール・ショー」が終わるまでは話ができないよね。まず、家族の方たち、それからマネジメントと相談しなければいけないから。
青山の時、一般セレモニーの前が、家族や友人、仕事関係の方々が参列するセレモニーだったんだ。家族の方とマネジメントから、「早めに来てください」って連絡があってさ。「なんだろう?」と思いながら指定の時間に行ってみたら、俺が会場に着くのと同時に、清志郎くんも到着した。「ああ、俺と清志郎くんが一対一で会えるようにしてくれたのかな」と思ったよ。それで、セレモニーが終わった時に、マネジメントに「11日に会いたい」って伝えたんだ。「ちょっと話をしたいんだけど」ってね。
さっそく11日に来てもらったから、「実はこういうことを考えている。“青山ロックン・ロール・ショー”の次は、“苗場ロックン・ロール・ショー”をやりたい」と提案した。でも、そのためには、彼のバンドであるNICE MIDDLE with New Blue Day Hornsにメインでやってもらわなければならない。だから「まずは、家族やバンドの方たちとよく話し合って、そのうえで返事をください」って話したんだ。そしたらすぐに、「やりましょう!」っていう返事が来たよ。
―― うわー、それは嬉しいですね。
日高さん:?それから、バンド側といろいろ話し合って、こういう形になったんだ。バンドの意向を聞いたり、俺からもアイディアを出したりしていった。歌ってもらえる人を探したりね。声をかけた中には、「行きたいけど、スケジュールが入っていてどうしても無理」っていう人もいたよ。そりゃそうだよね、本番の1ヶ月半前だもの。
毎年、お酒を飲んでいる時に、清志郎くんが「今度は絶対、BOOKER.T & THE MG’Sとやりたい」って言ってたんだ。それが彼の夢だったからね。ただ残念ながら、これまでも何回も話したんだけど、彼らが活動していない時期もあって、都合がつかなかった。でも、知っての通り、今年はBOOKER.Tが来る。
清志郎くんは、IAN DURY & THE BLOCKHEADとも共演したことがあるんだ。彼らが最初に来日した時に、飛び入りで参加したんだよね。確か、大阪だったかな。NORMAN WATT-ROYはTHE BLOCKHEADのベーシストで、WILCO JOHNSONはTHE BLOCKHEADの元ギタリストだから、当然、彼らのことも知っている。偶然にも、今年のフジロックには、清志郎くんが昔一緒にレコーディングしたアメリカの友人と、イギリスの友人が参加するんだ。
要するに、「スペシャル・メッセージ・オーケストラ」なんだよ、清志郎くんの。俺としてはさ、彼は今、ギター片手に自転車に乗って、銀河のあっちこっちで、アコースティック・ソロ・ショーをやっていると思うんだ。じゃあ、7月25日(土)は、久々にこっちに帰ってきてもらって、一緒に派手に騒ごうぜって感じだよな。曲目ももう決まっているよ。発表できないけど。
―― それにしても、清志郎さんはフジロックにさまざまな影響を与えてくれた人ですよね。
日高さん: よく付き合うようになって10年ぐらいかな。年に1〜2回、お酒を飲んで食事をしていたんだよね。彼が今までフジロックでやったことは、だいたいそこで生まれたこと。お酒を飲みながら、あれこれ二人で話し合ってやったんだ。「全部のステージに出ちゃおうか」とかさ。
―― 苗場食堂でのライブもそうですよね?
日高さん: うん。彼と飲む約束をしていて、ちょうど苗場食堂ができたばかりだったから、そこで飲もうよってことになったんだ。で、二人で飲み始めてしばらくして、俺が「やる?」って聞いたら、「(清志郎さんの口調をマネて)やりますか」って、彼のいつものあの調子でさ。ちょうどGaz Mayallがそばにいたから、「じゃあ、一緒にやらない?」って、やったんだよね。
―― 実は、当時、お客さんでフジロックに行っていたんですけど、本当に偶然にも一部始終居合わせたんです。「キヨシローが飲んでる!」って舞い上がっていたら、突然、ライブが始まって。どんどん人が集まってきて、最後に日高さんが「もういいだろう!」って止めるところまで、全部見ていました。あの騒ぎが、その場で決まったことだったとは!
日高さん: まあ、「ギター持ってきてね」とは言っておいたんだよな。だから、清志郎くんも薄々は「何かあるな」と思っていただろうね。
―― 確信犯二人ですね(笑)。
日高さん: それから、1999年(苗場初年度)だったと思うけど、これもやっぱりお酒を飲んでいる時に、清志郎くんに、「フジロックのテーマ・ソングを書いてくれないかな」って言ったんだ。「タイトルは“Going Up The Country”。“田舎へ行こう”っていう意味なんだけれども、そんな感じでどうかなー」って。彼は快く引き受けてくれたよ。非常にやさしい人だよね。うちの社員もコーラスで入っているんだよ。
―― 10年来の付き合いというのは、やっぱりフジロックに出演するようになってからということですよね。そもそもは、なぜ出てもらおうと思ったんですか?
日高さん: それは、出てほしいアーティストだからだよ。俺の中で、「彼ほどの人はいない」っていうのがあるから。最初は1998年の豊洲だよね。前から知ってはいたけど、それをきっかけに、雑誌で対談したりして、親しくなったんだ。俺たちは二人ともソウル・ミュージックが大好きで、音楽の趣味が一緒だからいつも音楽の話をしていたよ。
―― 一番記憶に残っていることは何ですか?
日高さん: やっぱり1998年だろうね。あの時のパフォーマンスが、俺としては一番強烈だった。夕方ぐらいだったかな。金色のジャケットを着て登場してさ。最初から、すごいショーだったよね。「何がフジロックだ!」っていう感じだった。「絶対そう思ってるだろうな」と思ったよ。「やっつけてやる!」みたいな意気込みを感じたよね。本当にそう思っていたかは知らないけど、そういうパワーを感じた。まあ、それがなかったら、あれだけのパフォーマンスはできないよ。彼は本当にすごいパフォーマンスをやるわけだから。それぐらいの意気込みが、体中から出ていたよね。
―― フジロック当日、ステージ以外には何かありますか?
日高さん: バッジを作ろうかと考えている。お客さんに安く買ってもらって、売り上げはユニセフに寄付しようと思っているよ。
―― 「メッセージを捧げる」みたいなのもやります?
日高さん: そんなのないよ。ロックン・ロール・ショーで終わり。派手に騒いで終わりだよ。俺は、「思い出」っていう言葉は使ってないだろ? 「受け入れられない」といっただけ。確かに彼はいないけどさ、しみじみなんてしたくない。清志郎くんにも俺にも向いてないよ。
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これまでのフジロックで清志郎さんのパフォーマンスを見た人はもちろん、見てない人も、25日はぜひグリーン・ステージへ。だって、日高大将が言うように、これは「苗場ロックン・ロール・ショー」なんですから。
interviewed by org-walk, org-naomi, org-john and org-satori