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[HEAL NIIGATA]札幌ペニーレーン24(February 8, 2005)
[HEAL NIIGATA]ZEPP東京(February 8, 2005)
[HEAL NIIGATA]渋谷AX(February 8, 2005)
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[HEAL NIIGATA]札幌ペニーレーン24
『雪国に住む者として』
HEAL NIIGATAから丁度一週間後くらいのある晩、北海道地方でも揺れの長い地震がありました。「とうとう私たちにも来たか!」と覚悟して身構えましたが、幸い震度2しかありませんでした。しかしながら、このところ全国各地で地震が続いていたので、本心からその揺れに恐怖を感じました。仮に、この時期の北海道で何か災害が起きたら、大雪の中で帰る家を失ってしまったら、考えただけでもゾッとします。
ですが現実に今、新潟の被災地ではそういった生活を強いられているのです、そう考えると同じ雪国に住む者として、親身になって考えずにはいられません。
実際、会場でインタビューに応じてくれた参加者の中からも、同じ雪国に住む者としての意見は何度も聞こえていました。イベントに参加した理由は様々でしたが、被災者の生活環境を気遣うような意見が多かったのは、やはり同じ雪国という土地柄からくるものかもしれません。
札幌会場では、地元を中心に、本州からもアーティストやスタッフが駆けつけてくれ、同時開催のどこの会場よりも早く開演になりました。ステージでは、出番前に「安易に頑張ってとかいえないんで」と話してくれたTHE JERRYや、実際、奥尻で被災した経験のあるHIGH VOLTAGEらが慎重に言葉を選びながらも、新潟に強いメッセージを送っていたのが印象的でした。また、PEALOUTの高橋氏が「(支援を)送る側も受ける側もポジティブに、前向きにやりとりができるといいと思う」とステージで話してくれました。これが札幌会場全体の気持ちをまとめた言葉だったのではないでしょうか。
当日は真冬日(最高気温が氷点下)で会場に来るのも大変だったと思います。お目当てのバンドを見に来ただけ、イベントの趣旨に賛同したから…、どんな理由にせよ、悪天候の中でも札幌会場に参加してくれた、全ての人達の行動に感激しました。一人でも多くの人がこのイベントに参加することによって、結果として、それが新潟の被災者の役に立つからです。チケット代として払ったお金は、被災者の方が冬を暖かく過ごすために役立ち、会場から送った「頑張れ!」のエールは、心を温めることでしょう。
被災地では現在進行形で復興するための努力が続いています。先日も新潟県の雪害について報道がありました。そういうのを目にする度に、雪国に住む者としては、やはり他人事とは思えないのです。私達はHEAL NIIGATAに参加したこ とを終わりとせず、彼らが一刻も早く暖かな生活を過ごせるように、できることを協力し続けていかなければ、と思います。
Reported by ORG-fukuaki,Photo by hanasan,ORG-wacchy
(February 08, 2005)
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