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Jul . 5
1999
FUJI ROCK FESTIVAL 97

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How 2 survive & Have fun !
'97 連載
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第3回:さて、どうやって会場に行こうか

 初めてイギリスのグラストンバリー(正確にはこう表記されるべきで、グラストンベリーというのはおかしい)・フェスティヴァルに出かけたのは83年のことだった。当時、住んでいたのは南イングランドのブライトン。モッズ・ファンの人なら、というよりはUKロックが好きな人ならば一度は見たことがあるだろう、フィル・ダニエルズ主演の映画「さらば、青春の光」の舞台になった街だ。

 ロンドン(ヴィクトリア駅)から電車で南に約1時間。この街を知らない人が夢見心地で書いたライナーノーツ(どのアルバムだったかは覚えてはいない)でブライトンの砂浜を歩くなんて出ていたけど、この街の海岸に砂はない。ごつごつとした砂利浜で、日本でいえば、小田原に近い。(だからというのでもないが、ここ6〜7年、筆者は小田原に住んでいる。)映画の中でスティングがドア・ボーイみたいなことをして働いていたのはグランド・ホテルという海に面したクラシックなホテルで、10年ほど前にマーガレット・サッチャーが宿泊中に爆弾テロにあった場所。ちなみに、その翌日、そのホテルの前を車で通ったのだが、あの時に彼女が殺されていれば…… なんてことを本気で願ったミュージシャンが当時はいっぱいいたはずだ。(もちろん、テロは許せないが)

pumps&leg いわば、ボヘミアン的な街で、ここが生まれた理由も自由に直結しているというのが面白い。昔から、イギリスの王様はイギリス国教会の女性としか結婚できないということになっていたのだが、ある王様が惚れ込んだのがカトリックの女性。というので、彼はブライトンに王宮を建て、ここに移り住んだ(あるいは、逃げ込んだ)ということらしい。まぁ、この王様もファンキーだったんだろう。なにせ、この王宮(ロイヤル・パヴィリオンと呼ばれている)の外見はインド風で、中は中国風。いい加減といえばそれまでだが、このアナーキーな東洋趣味を見ていると、なんとなく早すぎたマーティン・デニー流エキゾチカを感じるのだが、サセックスのリゾート地(といっても当時は漁村だと思うが)に突如としてタジマハールの世界が出現したときには誰もが驚いたに違いない。でも、それを平然として受け入れてしまったのがこの街。以来、自由でボヘミアン的な雰囲気が根付いているとといったところか。

 そういえば、イギリスで初めてヌーディスト・ビーチが生まれたのもこの街。今ではレヴェラーズ(彼らこそフェスティヴァルにふさわしいビッグ・バンドで、今回のフジ・フェスにも本当は出演させてほしかった… が、日本ではそれほど人気がないのが残念でたまらない)がここに本拠をおき、ビーツ・インターナショナルの… 誰だっけ? 名前を度忘れしてしまったが、まぁ、許してちょうだい。その彼もここに住んでいる。それにダンス・ジャズ系のクラブ(ブライトン・ジャズ・バップだっけ?)がやたら人気だという。

 が、筆者がここに住んでいた当時、そんなメジャーなものはかけらもなかった。もちろん、オルタナティヴなシーンはあり、廃屋となった教会(リゾース・センターと呼ばれていた)でレゲエ・クラブが開かれたり、バスキング(路上演奏)で人気を獲得し、インディからデビューした後、全国スーパー・マーケット前ツアーを実現したバンドもいた。いずれにせよ、ヒッピー的な発想を持つボヘミアン的な人間がうろうろしていたのがこの街だ。そして、筆者が居候をしていたのもそんな人たちだった。(そのあたりは、87年に出版した「ロンドン・ラジカル・ウォーク」に詳しい。が、残念ながら、初版だけで絶版。んなろ!今じゃ、古本屋でプレミアがついているという嬉しい噂を耳にしたが、筆者には全然金が入ってこない。悔しい!)なにせ、いつだっけか、この家の主が子供と一緒に日本にやってきたとき、ビデオで「イージー・ライダー」を見ているとこうのたまったから唖然。

「この映画のどこが面白いの。友達そのままの世界じゃない!」
 お見それしました! 家にはアイルランド人、カナダ人、オーストリア人、そして、この私、日本人がコミューンのように居候していたというわけで、それだけでも雰囲気は想像できるだろう。
 ともかく、その主がすすめてくれたのがグラストンバリーだった。
「毎年、サマーセットの田舎でヒッピーのフェスティヴァルが開かれるのよ。みんなで一緒に行きましょうよ」

 ってなことで、初めてこのフェスティヴァルを体験したのが82年だったと思う。フェスティヴァルが開催される1ヶ月ほど前から始まるのが仲間さがしだ。なにせ、みんな貧乏人。それに対してチケットはこの当時でもかなり高い方だった。だから、仲間を集めてオンボロのヴァンに乗って、みんなで経費をシェアするというのが最も安くつく方法なのだ。というので、結局、親父ヒッピーの家族が乗るヴァンに乗せてもらって、こっち側の家族(母親、子供3人と筆者)と一緒に会場に行くことになった。

boots 車の中には当然のようにテントや寝袋が積み込まれ、スーパーマーケットでいろんなものを買い込んでいく。例えば、なにでも使えるトイレット・ペーパー。これ、実に重要だ。トイレに行って紙がなかったら… 想像するだけでおぞましい。ハッハッハ。冗談じゃなくて、これは大マジだからね。それから懐中電灯。カントリーサイドの夜は、はっきり言って、右も左も真っ暗闇で、明かりがなければなにもできないのだ。そして、最もファッショナブルではないフェスティヴァル・ファッションの必携品、ゴム長がここに加わる。だいたい雨なんかが降ると地面がぐちゃぐちゃになって普通の靴だと歩けない。もちろん、それでもかっこよさに固執するならいいだろうけど、フェスティヴァル1回で高価な靴の生命が終わりを告げることだけはここに記しておきたい。ゴム長は便利だよ。夜になると真夏だというのにすごく寒くなるから防寒具にもなる。その他、全天候に備えた服も必要だ。イギリスというのは日本の高地(今回のフジ・ロック・フェスティヴァルの会場がそれに近い)に似ていて、昼間の天気がよいときは太陽の光が強くて暑いんだけど、夜になると冷え込む… というより、かなり寒くなる。だから、筆者の場合、手放せなかったのがMA1。これって、便利なんだよね。多少の雨ならなんとかなるし、軽いし、暖かい。真夏のフェスティヴァルだからといって、半袖のTシャツに半ズボンにビーチ・サンダルで行くのもいいけど、天気が崩れたり、夜になったら、泣きを見るからね。少なくともジャケットにトレーナーぐらいは用意しておかないと惨めな思いをすること請け合いだ。

 ってなことで、グラストンバリーの話からフジ・ロック・フェスの話に流れ込んでしまったけど、快適なフェスティヴァルを体験するために上記のものぐらいは用意してほしい。それと、会場内にはビンやカン類は一切持ち込みを禁じている。なぜならば、人が裸足で歩けるほどの美しさを持っているのが会場敷地だ。これを危険なもので踏みにじるわけにはいかない。ここにやってくる人たちがみんなを互いにケアーするという姿勢(アティチュード)を持っていないと、成立しないということは肝に銘じてほしいと思うのだ。だから、会場に持ち込む飲み物は水筒だとか、紙パックの製品ぐらいにしてほしいと思う。ペット・ボトルだって未だにリサイクルがシステム化されていないし、個人的にはいいとは思わない。これに関しては会場で禁止されてはいないけどね。

 ってなことで、連載はまだまだ続いていくのだが、このあとは次回ということで。

written on the 25th April. '97

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