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Jul . 5
1999
FUJI ROCK FESTIVAL 97

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How 2 survive & Have fun !
'97 連載
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HOW TO SURVIVE & HAVE FUN ! [1997.5.26]

第5回:なんか、いいこと、楽しいこと、やってみたいんだな

 今では日本中のロック・ファンに知られるようになったグラストンバリーが一番最初に開かれたのはもう27年前になる。ウッドストックやワイト島のフェスティヴァルが開かれた直後の70年のこと。一般的な、僕らの発想でいえば、その影響下にこれが生まれたと思いたがるのだが、本当の所はそうではない。今から10年以上前に会場となる農場の主で、主催者でもある農夫、マイケル・イーヴィス氏にインタヴューした時に彼自身がこう語っていたものだ。

マイケル・イーヴィス氏 photo「実は、そうじゃなくて、バース・ブルース・フェスティヴァルというのがあってね、その影響で、僕らでもできるんじゃないかと思って始めたんだよ」

 そして、開かれたのが70年。その時に誰が出演して、どんな演奏をしたのかは想像するしかないが、この時会場に集まったのは500人足らずの人たちだったということだ。そして、その翌年に数千人を集めているのだが、ひどい赤字を出したらしい。何せ、この時の出演者といえば、デヴィッド・ボウイ(まだ長髪だったのよ)やTレックス… 当時の写真を見ると、フラワー・ムーヴメント華やかな時代ということもあって、すっぽんっぽんの人たちの多いこと。でも、気持ちはわかるよ。だって、なにもない農場に素晴らしい音楽があって、中心となっているのは手作りのピラミッド型ステージ。自然に囲まれて、警察も来ない、そんな天国のようなところでみんなが自由になれるんだもの。当然でしょ?

 実をいえば、ロンドンでこの時のライヴ・アルバムを70ポンド(!?)で買ったんだけど、(3枚組のコレクターズ・アイテムで、下北沢のレコード屋で見た時は65000円だった)、それをFM東京で番組をやっていた時に使ってから、行方しれず。別に、あそこで失ったとは、(正確には)言っていないけど、なんとなくそんな感じがするんだよな。(悲しいよ〜!)誰か安くゆずってくれい!そういえば、この頃、私、キリン・ライヴ・パラダイスという番組のパーソナリティをやっていて、グラストンバリーの特集を組んだ時にこれを使ったんだわ。あの時はネヴィル・ブラザーズが「イエロー・ムーン」を出した頃で… そのライヴ、よかったよ〜! 「バード・オン・ワイアー」なんて涙ものだったから。

 おっと、話が横道にそれた。申し訳ない。

 で、その大赤字のおかげでグラストンバリーは81年頃までおやすみに入ってしまうのだよ。だって、この農場の主、マイケルはちょっと前まで農場を買ったローンを払っていたほどで、そんなにお金持ちじゃないし、こりゃぁ、カミさんに怒られたんだろうな。実際、それまでロック・ビジネスとか、全然知らなかった人なんだから。(実は、今でも知らないようなんですけど)

「いやぁ、本当はね、ボブ・ディランとか、そういった人たちが歌っていた世界を現実のものにしたかったんだよ」

 フェスティヴァルを始めた動機って、こんなものだったと彼がいっているんだよね。まぁ、それができた時代だったと思うんだ、あの頃って、日本でもフォーク・ジャンボリーがあったり、箱根のアフロディーテがあったり… なんか不可能なことが可能になるような雰囲気があったから。

 それが復活したのが、確か、80年か、81年だったと思う。最初はピーター・ゲイブリエルと一緒に、なんかのチャリティをしたんだな。アムネスティか、ユニセフか、そのあたりのことだったと思うけど、今、手元に資料がないので(どこにいったのかわからなくて困っているのよ、実は。)正確なことをかけなくて申し訳ない。ともかく、それで再び「ディランなんかが歌っていたことを現実のものにする」という夢が動き出したわけですわ。

 ちょうどその時、NATOが中距離核ミサイルを全英に配備しようと動き出したわけだな。要するに限定核戦争が可能になるような状況をアメリカや政治家たちが作り出そうとしたということだ。ところが、「冗談じゃぁねぞ」と動き出したのが一般の人々。これがCND(核廃絶運動)という団体の巨大化につながっていくわけなんだが、マイケルも当然のようにCNDを支持していたんだ。だいたい「ディランとか…」ってことを臆面もなく言える人なんだから、当然だよ。それに、多くのミュージシャンも支持していたわけだよ。この頃登場したビリー・ブラッグ(もうすぐ最新作がボーナス・トラックいっぱいで日本発売されるので期待していてね!私がライナー書いてるし)やスタイル・カウンシルのポール・ウェラー、デビューしたばっかりのブロウ・モンキーズ、コミュナーズあたりが中心になって、すごいムーヴメントが生まれたのは、みんな知っているよね。(知らなかったら、勉強してよ、面白いから)実際、私がまだライターを始めた頃だったんだが、この頃、なんとこの私がワム!にインタヴューしているんだな。(笑)その時、ジョージ・マイケルが「CNDは支持している」って言っていたからびっくりだよ。それほどこの動きが一般的な広がりを見せていたということなんだな。

Photo それでマイケルは、グラストンバリーをCNDへの基金作りのために使えないかと思って、現在のグラストンバリーへの変化が始まったわけだ。で、はじめてこのフェスティヴァルに行ったのが82年か83年。もう遠い昔のことで正確には覚えてはいないんだが、84年以来、95年を除いて(急性肝炎になって、私、入院していたのよ)フェスティヴァルが開かれるときには必ず取材に出かけたんですよ。びっくりするよ、会場にいけば。そのあたりに関してはもう書いたけど、なによりも驚かされるのはその成長だろうね。初めて行った時の会場の広さは当時の東京後楽園球場の38倍の広さと書いたんだが、今じゃ、その3倍近くの大きさになっているからね。それにCNDからグリーンピースへと基金を作る対象が変わったというのもあるな。その理由は、東西の壁がつぶれて、英国の米軍基地もどんどん縮小されたというのが一番。(日本と大違いだな。沖縄はまるで「日本」の植民地のような扱いを受けているし、「日本」はアメリカの植民地みたいに米軍基地だらけ。しかも、アメリカ本土じゃ絶対に許されない空軍の訓練を東京でもやってやがる)

 おっと、また話が横にそれた。悪い悪い。

 ともかく、グリーンピースへの基金作りを目的にし始めて、また一段と大きくなったわけだ。イギリスには野外でイヴェントをするときに申請を出して、地方の役所から許可をもらわなければいけないんだが、「反核運動」の基金作りの時はめちゃくちゃな圧力を受けていたのに、グリーンピースだったら、大義名分が比較的「政治的」じゃないというので、楽になったらしい。が、入場制限があって、5万枚ぐらいしかチケットを売ったらいかんというので、正式にはそれぐらいの数字しか発表していないと思うんだ。でも、グラストンバリーの場合、14歳以下の子供たちは入場料が無料だというので、(それに関係者もめちゃくちゃ多い)毎年10万人は軽く集めていると思うんだ。

 ってなことで、今回なにを書きたかったのかというと、このフジ・ロック・フェスティヴァルに関しても、ただの野外コンサートとしては考えてはいないということ。もちろん、政治集会にするつもりもないし、ステージから説教のようなメッセージを垂れ流すつもりもない。でも、少なくとも自然と音楽を最もいい環境のなかで楽しんでもらえることで、僕らの持っている文化の重要性と素晴らしさ、そして、自然の美しさを感じてもらいたいというのがある。だからこそ、極力チケットの値段も下げて、小学生以下は保護者同伴で来る限り(身分証明書が必要だけど)入場無料にしたわけだ。だって、これからの世界をになう子供たちにこそ素晴らしい音楽と自然を味わってほしいじゃないか。それに、日本でも(海外のいろんなミュージシャンがやっているように)誰にも知られず社会のために動いているミュージシャンもいるし、そんな人たちにちょっとしたアピールをしてもらうことも考えている。どんどん自然が殺されていることに危機感を持っていて当然だろうし、世界がこのままでいいわけがない。だから、この世界をよりよいものにするために、わずかでもいいから力になりたいと思っている。誰がどんな形で登場するかは、まだここでは記せないけど、グラストンバリーのマイケルと同じように、やはり僕らも(限られた条件があるけど)本当に自由で平和な数日間を集まってきた観客たちと一緒に作ろうとしているということだけは理解してもらいたいと思うんだ。

written on the 26th May. '97

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