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Jul . 5
1999
FUJI ROCK FESTIVAL 97

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How 2 survive & Have fun !
'97 連載
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第8回:最終回 ?グラストンバリー'97・後日談

 グラストンバリーが終わって、その日はぐっすり睡眠をとってロンドンに向かったのは30日。これはフジに行く人にも言えるけど、ぐっすり睡眠取ってから車の運転してね。じゃないと、マジで事故るよ。なにを隠そう、80年代半ば(86年だっけか?)の6月の最終週末(もちろん、グラストンバリー後)のこと。当時は金がなくて近所のB&B(ベッド・アンド・ブレックファストという、まぁ、イギリスの民宿さ)に泊まる余裕がなかったから、毎日車で寝ていたのね。ところが、この時期って昼間がめちゃくちゃ長くて夜が短いわけよ。すると、取材を終えて寝るのが深夜1時頃で、お日様のせいで目が覚めるのが朝の5時って感じだから俄然睡眠不足になってしまうわけ。でも、当時世話になっていたブライトンの友人のところへ帰らなきゃと車をとばしていたら... びっくりしました。後ろじゃ、クボケンが寝始めて、隣じゃミッチが寝始めて、そんでもって、運転している私までが寝始めたのよ。そりゃぁ、事故るわ。ってなことで、車を中央分離帯にぶっつけて右側が大破損。なにせ、タイヤが割れたからな。ホイールにもヒビが入ったし... あの時、もう30cmほど右を走っていれば... 完全に3人とも死んでいただろうな。今考えれば、こうやって生きているのが不思議なほどの事故で、つくづく悪運が強いと思う。

 ともかく、そうやってロンドンに向かい、1泊した後にロンドンからサンドラ・クロス&アルチューロ・タッピンwithアラン・ウィークスのツアーのために直接大阪入り。(このレポートはsmashing magでチェックしてちょうだいマ当然のように宣伝だが)7月3日に大阪でライヴがあって、6日に東京公演で7日にメンバーを送り出しというので、グラストンバリーの後日談を書くことができなかったのだ。ということで、やっと時間ができたので後日談+アルファをここに記してみよう。

photo 基本的にフジ・ロック・フェスティヴァルがグラストンバリーを一応、モデルにしているというのは、わかると思うんだけど、はっきり言って、フジはグラストンバリーのミニチュアだと考えてちょうだい。おそらく、会場の敷地は1/10ぐらいだし、ステージの規模がけた違い。グラストンバリーじゃステージの数が6つって驚異的でしょ? その6つのステージでどんなアーティストが出演したか、それを記すだけでも面白いってんでやったみたら、こんな具合だ。(と書き出そうと思ったけど、この時のプログラムをスキャンしたので、それを見てちょうだい)ちなみに、これは音楽関係だけで、その他、インドア・シアター、アウトドア・シアター、サーカス、映画、キャバレーなどもあるってこと、忘れないでね。(それと、スケジュールに若干の変化があって、最終日のメイン・ステージに登場したのは、スペシャル・ゲストがクーラ・シェイカーで、トリがアッシュ。スティーヴ・ウィンウッドは体調を崩して出演せず)

 さぁて、どうする? これじゃぁ、まるで世界中の音楽の万国博覧会のようなもんだよ。音楽だけじゃないから、まぁ、オルタナティヴな文化の万国博覧会って感じかな。とんでもないよ。実は、グラストンバリーへのパッケージ・ツアーを僕の友人で写真家のジェイ井上がもう10年ぐらい(ひょっとしたらそれ以上)続けていて、今年は彼と一緒に日本から20人ぐらいがここにきたんだけど、なんか、みんなカルチャー・ショックを受けていたみたい。だって、会場は完全に泥の海、どのステージでもとんでもないアーティストがとんでもない演奏をしているし、マーケットに行ったらオルタナティヴなものはなんでもそろっているし... 泥の海を泳ぐように遊ぶってのはたいへんだったと思うけど、それでもここにきたことが楽しかったという人がほとんどだったと言うんだから、わかるでしょ? これがどれほどの規模なのかって。

photo それに加えて、今年驚かされたのは、やっぱテクノロジーを駆使して強力なメディア合戦をしていたことかな。例えば、スポンサーとして加わっていたセレクトって雑誌は、なんと毎日新聞を発行。信じられます? サブ・ステージで最後に演奏したシーホーシーズのジョン・スクワイアの写真が翌日にはでんと一面を飾って、その日のライヴの模様とか、会場にきた人たちのメッセージなんかが掲載されているんだよね。ビックリだわ。ちなみに、この表紙の写真って、120万画素の例の高めのカメラで撮影されているんだけど(その写真を撮っている人と話して、彼のカメラをチェックしたのよ)あんまり大したことないな。まぁ、このあたりが普及型のデジタル・カメラの限界なんでしょうな。(ちなみに、私のはサンヨーの新しいヤツ)photo何百万円もする35mmみたいなのを使ったらもっといいんだろうけど、ニコンやキャノンはスポンサーになっていなかったみたいだから。(もし、そのあたりのメーカーの人がこの原稿を読んだら、スポンサーになってよ。単にカメラを借りたいってだけだから、今年は)でも、さすがにこの雑誌がスポンサーだってことなんだろう、ステージの上からの写真も掲載されてやがる。昔は、よくステージで写真を撮ったんだけど、最近はうるさくなってバンドのオフィシャル・フォトグラファーでもなかなかそうはできないから、これは悔しいな。ともかく、これは愕きだった。

 それと、当然のようにウェッブ上でもほぼ同時進行でフェスティヴァルのレポートを載せていたのが印象に残っている。(といっても、それをチェックしたのは日本に帰ってきてからなんだけど。URLはhttp://www.erack.com/select/で、7月13日現在でもグラストンバリーの内容はチェックできます)まぁ、それに近い形で(数日遅れですが)このフェスティヴァルのレポートをしていたのがsmashing mag。日本語ではとりあえず、このサイトがいち早くフェスティヴァルの情報を発信できたんだから、誉めてやってよ。エライ!(でも、大したことは書いていなかったけど)

 ちなみに、(もちろん、そんな大それたことはできないけど)今回のフジでも同じような試みをしようと思っている。まぁ、僕ら、インディだから、自分たちの力で可能なこと、しかも、金がかからないってのをやってみようってことなんだけどね。内容はってぇと、ほぼ同時進行に近い形で写真を中心に会場の雰囲気をどんどんウェッブに掲載しようって感じ。アップルがコンピューターとデジタル・カメラを数台貸してくれるというので、ステージ裏にスマッシュのインディ電脳部隊(ひとり!?)を常駐させて、新しい情報をどんどんアップ。できれば、専用の掲示板を作って「フジから世界に」ってなコンセプトでミュージシャン、スタッフ、会場にきた人たちにメッセージを書き込んでもらったりしようかな。写真は僕(ステージ周辺の仕事もしなければいけないけど)とか、ウェッブ・マスターのokada君とか、仲間でどんどん撮影して、(うまくいえば、バック・ステージのミュージシャンも撮影できるかもしれないぞ)メッセージ付きで掲載したり... あるいは、仲間に仕事を(当然ただ働きだけど)手伝ってもらって、会場に集まっている人たちの写真とメッセージを載せていくとか... まぁ、いろんなことを考えているわけですよ。

 それと、できれば、会場に来たみんなにも書き込みができるようにコンピューターを設置したいよね。これは、まだ可能かどうか、わからないけど。いつもここの掲示板に書き込みをしてくれている人たちが自分のコンピューターを会場にまで持ってくるとは考えられないから、そんな人たちのコミュニケーションの場も作りたいものね。(なかには、そんな人がいるということですが。なんと携帯でモーバイル・コンピューティングをするんだと。驚異!)まぁ、電話回線も限られているし、コンピューターの数も1〜2台しか置けないと思うけど、なにかの役にはたつでしょう。

 とまぁ、そんなことを考えているんですよ。今の段階では(こんなことをいっていていい時期じゃないけど)どこまで可能かはわかりませんけど、できれば、メールも使えるようにして、友達なんかに送るのもいいよね。と、ぐわんばっている私たちなのよ。会場で僕らを見つけたら、声をかけてね。そんでもって、世界になにかを発信しようね。ってなことで、フジ連載の開催前の最終回が完結するのである。(はずだが、もし、なにかがあったら、また書くんですけど、ハッハッハ)

written on the 15th July. '97

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