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Jul . 5
1999
FUJI ROCK FESTIVAL 97

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How 2 survive & Have fun !
'97 連載
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HOW TO SURVIVE & HAVE FUN ! [1997.7.21]

続・最終回:なにかが起こるような・・・

 要は"Let's Get Together"だと思っている。英語でいうところのtogethernessとかonenessって感じかな。(実は、今、BGMに流しているのはヤングブラッズ〜Young Bloods〜というバンドのアルバムで、その代表曲が「Get Together」。60年代半ばの曲だけど、一度聞いてくれたら、この意味がもっと分かるかもしれない)僕らは一人じゃなくて、どこかでつながっている... それは、もう、信念みたいなもので、それが証明される場所がほしかった。おそらく、だからこそ、あの書き込み用のボードが、そして、このホーム・ページが生まれたんだと思っている。これはsmashing magをたちあげた時に書いたことなんだが、(その原稿は今、editer's voiceに移行されていますが)この場所は「発信者」がいて、「受け手」がいるという旧来のメディアではなくて、(当然、ただの宣伝のページでもない)誰もが発信者であり、受け手であるというもの。だから、最近の"Let's Get Together" Boardを見ていると楽しくて仕方がない。誰もが同じような立場で発信し、受信し、これがそんなメディアとして大きくなっているのが手にとるようにわかるからだ。それにチャットもだんだんと忙しくなってきたみたいだし、smashing magの方のボードも徐々に使われるようになってきた。

 もちろん、フジ・ロック・フェスティヴァルもそんなもののひとつだと思っている。これはあくまで個人的な見方であって、大将やYuki、スタッフ、ミュージシャンたちはまた違った思いを持っているんだろうが、自分自身は「だから、熱くなっている。」特にレッド・リボンだ。ひょんなきっかけでこんなことになってしまったんだが、それが面白い。誰がリーダーでもなく、「みんながつながりたい」という想いから自然発生したようなもの。当日、会場にどれほど多くの人たちが赤いリボンを付けてくるのか...  想像もつかないけど、それが何人であっても全然問題じゃない。それに、一般的に言う、オフ会でもないだろう。そこになにやら得体の知れない、今風で言うなら、ヴァイブ、そう同じ姿勢(アティテュード)や同じなにかに対する愛情を感じるとでも言えばいいのか。当然ながら、僕もYukiも赤いリボンを用意するつもりだし、毎日毎日ワクワクしながら、あのボードに目を通している。

 思うに、82年に初めてグラストンバリーに出掛けて以来、なにに興奮させられたかというと、そんなヴァイブなり、得体の知れない独特の空気だった。まだ日本では誰もその存在を知らなかったこのフェスティヴァルでなにが嬉しかったのか... それはそこに漠然と自分の仲間が集まり、一緒になにかを起こしていたということだ。当時はそれほど有名じゃなくて集まったのも30000人ほど。CND(核廃絶運動)へのチャリティということもあって、レコード会社はアーティストが政治的なことに巻き込まれるのを嫌がっていたし、政治的な色がつくとメジャーなアーティストはほとんど顔を見せてはいなかった。唯一の大物はジャクソン・ブラウン。この時、彼が一銭の金を受け取ることもなく出演し、それこそこの場にふさわしい「Before The Deluge(洪水の前に...)」なんて曲を演奏したのが鮮明な記憶となって残っている。その他、ブレイク寸前のブラック・ウフルーやアスワド.... そんなアーティストが出演していたものだ。

 そして、83年、この当時は、取材するのも楽しかった。「日本にこのフェスティヴァルの意味を伝えるためにやってきたんだ」とスタッフに伝えると、ステージの上はおろか、ミキシング・テーブルの設置されたタワーでもどこでも入っていって写真をとることができた。いろんな人たちが... というよりは、スタッフを含め、会場に集まってきた誰もが、口にはしなくても共通した目的を持ってここに集まっていたからだ。それはCNDという政治的な言葉ではなく、やはりonenessやtogethernessとでしか言い様のないなにか。この時、今はグラストンバリーから離れてしまったサウンド・エンジニアのトニーが「1分間でもいい。グラストンバリーを沈黙で満たしてみよう。みんなが一緒になればなにかができるという証明だと思うんだ」とステージから語りかけたことがあった。会場全体が沈黙に包まれ、わずかひとりがステージの前で「てめぇらなんて、イージーすぎんだよ!」と叫んでいたものだが、それが逆に僕らの力を伝えてくれていたような気がしていたものだ。確かにそれで世界が変わるわけでもなければ、現実的な力ではないかもしれない。が、かつて友人に言われた言葉を思い出したのがこの時。理想を理想と思わず現実にdo、すなわち、することで最も現実的な力をなりうる。その通りだろう。

 その日の夕方、盆地になっているピラミッド・ステージの前に霧が立ちこめ始めた時、誰かが光の筋になって見える懐中電灯の明かりをピラミッドの頂上に飾られていたピース・マークに向けると、あとに続いたのが無数の光の筋。わずかな電池で少しばかりの光を放つその帯が集まって、闇夜のなかにピース・マークがぽっかりと浮き上がったことがある。その時、自然に会場からわき起こったのが拍手と叫び声。思うに、その歓声の意味はCNDという核廃絶運動へのものではなく、一緒になにかをしたということへの喝采だったんだろう。

 その翌年、ハイドパークの反核デモに加わったとき、同じような光景に出くわしている。デモと集会の参加者は40万人。ステージには、デモ行進に参加したポール・ウェラーやビリー・ブラッグ、ギル・スコット・ヘロンなどが登場し、拍手喝采を浴びていた。そして、一連のスピーチが終わり、最後を飾ったのは集まった人々がステージからの声に答えて歌う「We Shall Overcome」。でも、そんなものどうでもよかった。まるで過去の繰り返しのように、決められたパターンをこなしているようで、面白くもないのだ。ところが、そのあと、ステージから人が消え、家路に向かう人たちのなかから自然発生的にわき起こったのがジョン・レノンの名曲「Give Peace A Chance〜平和を我らに〜」を歌う声。しかも、それが徐々に大きくなって、ハイドパークを包み込み始めていったのだ。文字どおり、背筋にぞくっと来るほどの衝撃を受けたのがこの時。これこそ伝えなければと思ったものだ。ひょっとしてこんなもの音楽じゃないという人がいるかもしれない。でも、僕にとって、これこそが音楽にしがみついて生きてきた証のようなもの。それを伝えたかったのだ。

 あれ以降、幾度かそんな光景に出くわしたことがある。3日間に渡って雨が降り続いた85年のグラストンバリー。かつて「グラストンバリーなんてただの商業的なヒッピー・フェスティヴァルだ」といっていたポール・ウェラーが始めて出演し、オーストラリアで圧倒的な人気を持つミッドナイト・オイルがはじめて本格的なツアーのためにイギリスにやってきた頃だ。リーダーのピーター・ギャレットが自ら車を運転してバンドと一緒に会場に乗り込み、ステージから歌い、叫び、語りかけていた光景。あるいは、まだネルソン・マンデーらが獄中につながれていた当時、テムズ川のエンバンクメントからロンドンの街を横切ってクラッパム・コモン公園まで続いたデモ、そして、そこで繰り広げられたコンサートも強力だった。また、数年前、ロンドンのブロックウェル公演で開かれた反人種差別を訴えるフリー・コンサートも忘れられない。15万人がマニック・ストリート・プリーチャーズやレヴェラーズの演奏に熱狂し、子供たちが叫ぶようにバンドの歌っていたものだ。そこには、どう描いていいのかわからない感動があり、onenessやtogethernessがあった。

 もちろん、フジ・ロック・フェスティヴァルはデモでもなければ集会でもない。確かに、僕らのなかには自然環境保護のこと、知的傷害を持った人々を手助けする運動をしている人もいるけど、それを訴えるためのものではない。それに、過大な期待もしていなければ、そのために演出をしようとしているわけでもない。こんなこと、恣意的に起こせるものでもなければ、演出できるものでもないだろう。ただ、わずかながら、どこかでなにかを期待しているのは確かだ。以前にも書いたように、スポンサーがなければ、大規模なイヴェントなんて成立し得なかった日本で、チケットが売り切れるような事態にまでなったのがこのフェスティヴァル。そんな意味でいえば、主催者はスマッシュではなく、チケットを買ってわざわざ会場にやってくる一人一人。国内では沖縄から北海道まで、文字どおり、全国から人が集まってくる。また、あのボードを見てメールをくれた人のなかには、香港やマカオ、韓国や、なんとカナダやアメリカからの人の名前も見える。彼らはこの日のためにフライトをとってやって来るというのだ。

 おそらく、会場にやってくる人たちの目当てはそれぞれに個性的なパワーを放っているミュージシャンの演奏だろう。いわば、ただの音楽なのかもしれない。が、そこにはただの音楽には収まらないなにかがあるはずだ。それを作るのは、会場にやってきたミュージシャン、スタッフ、そしてなにより重要な一人一人の主催者(すなわち、観客!)だと思っている。それがひとつになって、一緒になってなにが生まれるのか... 誰にもわからない。ただひとつわかるのは、ほんのわずかなきっかけで動き出した赤いリボンがすでになにかを作り出しているということ。ひょとすると、僕らは今、とんでもないことをやろうとしているのかもしれない。

 さぁ、みんな、会場で会おう。赤いリボンを目印に、誰にでも声をかけよう。普通なら、恥ずかしくて誰にも声をかけられない人だって。誰もが声をかけられ、声をかけようとこのリボンを身につけているはずだ。躊躇することなんて、なにもないだろう。だって、僕らは「だからここに来る」のだから。

One Love!

written on the 21st July. '97

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