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・ 「いったいどうなっちゃうんだろ」記録...Part5
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「対人キャパ」オーバーだぁ!
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近頃、自分の「対人キャパ」オーバーしているような気がする。いつも会社と家の往復で、せいぜい友達と会ったりしても平均月3−4回。それが、この前は週に4日も人に会ってしまった。いつもの月平均を一週間で上回る、24年間にして初の快挙(?)を成し遂げた。
その怒涛の4日間は、言うまでもなく全てフジロック絡み。そう言えば先々週なんてライブ会場で偶然他のボランティアスタッフに遭遇してしまったりした。最近、もの凄い勢いで自分の周りの環境がフジロックという大きな渦に巻き込まれているような気がする。(大袈裟でしょうか?)
その4日間のうち、1日目はフジ友とチケットを買いに行った。目標は店のお兄さんに「今年初めて行くんですよ!」と話しかけ、「初心者でも楽しめるフジロック話し」を聞き出すこと。が全く実行出来ず。(ガッカリ)しかし、相方はさすがでした。「どうですか?売れてます?」「そうねー、今年はねぇ...。」なんて会話が自然に弾んむ。なんで?やっぱりフジ経験者はお互い仲間意識のようなモノを自然と感じるのでしょうか?なんかニオイでも出ているのか?
残り2日は他スタッフの仕事(=取材)に同行。もう1日は、思い出せないが確実にスタッフの誰かに会っていた(はず)。
取材同行とは、フジロックに出店するレストランの取材と、過去5年間参加している強者フジロッカーのインタビューへの同行だ。
同行した時のレストランは、立川にある割烹「ひら山」。97年から出店しているくらいだから、ハードロックが鳴り響き、所狭しと壁に飾られたミュージシャン達との写真...という店内を想像していたら大違い。最小限のボリュームでかけられていた音楽はクラシック。(たまにジャズもかけるらしい。)照明も、なんとも言えない上品な薄明かりで、(間違っても我が家の蛍光灯とは違うのだ!)大人の雰囲気だ。お酒や料理をゆっくり楽しみながら、心ゆくまで話しが出来る、そんな店だった。
ご主人の平山さんからは、現地でのスケジュールや、メニューの予定、そして経済的にも精神的にも大打撃を受けた嵐の97年の話しから、尊敬する日高大将やソロモンさんの話しなどを伺った。その流れで「人生とは、生き方とは」のような深い話しが平山さんとスタッフの間で交わされていて、まだ「にわかフジロッカー」にもなっていない自分は、迂闊に口を挟んだりしたら、ますます青さが露呈してしまいそうなので、ただただ頷くことしか出来なかった。「人間として立派な大人になりたい。」そう思った一夜だった。
強者フジロッカーへの取材同行は、インタビュー相手が同じ仲間(orgスタッフ)だったので気も楽だったし、初参加予定の自分にとって役立つ話しが聞けて良かった。
話しをしてくれたスタッフR氏は、なんと5年前の97年は高校1年生! 更に驚くべく事実は、現地で友達と会う約束をしていたものの結局会えず、あの嵐の中、一人でライブを満喫したそうだ。恐るべし15歳。ここで自分の15歳の頃を思い出してみる。一人でライブなんてとんでもない! 一人で新宿に行くくらいでメチャメチャ大人の世界へ足を踏み入れたと思っていたあの頃。(最近の若い子って早熟なのね...)
彼がその後も98年〜01年まで参加していく事で、客というよりも参加者としての意識が変わっていく様子が興味深い。
それにしても、この時は2時間テープが足りないのでは?と心配だった。インタビューする側のS氏と、される側のR氏の「ノンストップ・フジ対談」としても面白い話しが聞けたに違いない。ここでバラすとS氏はフジに行きたいが為に仕事を辞め上京してきてしまった人だ。「そんなアンタにインタビューしたいよ。」と私は思う。まさに100人いれば100通りのフジストーリーとは、この事だろう。
この2つの取材に同行して印象的だったのは、過去に1度でもフジに参加していれば、もう「フジロッカー」で、フジロッカー間に壁はないという事。お互いがどんな職業で、普段何をしているかなんて関係ない。フジロッカーが2人集まるとフジロッカーズになって、彼等の間には強い仲間意識が生まれる。そんな強い結び尽きの媒体となるフェスって、フジロック以外に日本にあるのか?
不思議なフェスだな、と思う。早く自分も「フジロッカー」を名乗りたい。
written by ORG-kimiko (June 25, 2002)
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