
Around the Fest.3--フミオさん(KEMURI)--Part1
わずか25分にいろんな思いが交錯しました...(98年)
フジ・ロックを知ったのは、デビューした頃、97年ですね。でも、こうゆう性格ですから...(笑)ちょっと斜めから見ていたというか...(笑)実際、羨ましいんだけど。「行きたい」というより、「出たかった」ですよね。やっぱ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかグリーンデイとかが出てたし、フェスティヴァルに出るというのが夢でしたから。音楽をやり始めた理由のひとつに、アーティスト・アゲンスト・アパルトヘイトのイギリスでやったライヴ(政治犯として収容されていたネルソン・マンデーラ氏の釈放をもとめた大規模なもの)を見て触発されたというのもあったし... すごい出たかった。
(台風の影響で2日目中止になって)また、いろんな人がいろんなこと言ってるなぁ... 羨ましがってんだろうなって感じですかね。自分のそのひとりだけど... 悪く言う人多かったんですね。「やっかんでるんだなぁ」って思ったの、覚えてる。いろんなことを言う人いたけど、「だったら、自分でやってみればいいじゃん」って..
で、これでなくなられたら困るなぁ。(笑)まだ出てないのに、なんとかがんばってもらいたいなぁって、ホント。心の中ではそう思いつつも、いろんなこと言ってましたけど。「チケット代高ぇな」とか。
(フジ・ロックに出られるという話が来た98年)いやぁ、すごい嬉しかった。アメリカ・ツアーから帰ってきた時で、『77days』が出る直前。いまだに覚えてますね。サーシャ(ステージ関係では有名な人物で、fuji rockin' peopleにも登場して欲しい、スタッフのひとり)がMCやってくれて、『今、一番元気のあるバンドです」って言ってくれて、出ていったのはいいんだけど、喉がカラッカラで...『ニュー・ジェネレーション』か『プレイヤー』だったと思うんだけど、ワン・コーラスやっただけで「やべぇ!」って思いましたね。暑かったですね。朝の11時頃だったからまだよかったけどね。
なんか(ステージに立って)心がブルぶるっと震える感じがありましたよ。いろんなことを思い出した... のはあったかな。KEMURIじゃなくて前のバンドのこととか... 俺なんかより音楽も好きだったし、知っていたし、技術もあったし... そんな人たちで、もう音楽やっていない連中もいて... なんで俺がこんなところに立ってるんだろうか... なんて、不思議な感じがしたのはあったかなぁ。
まだそんなに大きなところでやってなかったじゃないですか。それなのに、なんでこんなに俺たちのことを知ってくれているのかなぁって、ちょっとびっくりしましたね。それまではライヴといっても、いつも同じような顔とか知っている人たちばかりでね。一気に知らない人たちがKEMURIを知っているような状態になって... 若干違和感ありました。なんか変わっていってしまうのかなぁとか... 25分ぐらいしかやらなかったと思うんですけど、いろんな思いが交錯しましたね。
Part2へ
Intro/Part1/2/3
reported by ORG-master> (March 14, 2002)
|