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     フジロックにゆかりのあるミュージシャン、関係者の方に登場していただいている、Around The Fest.。今回、お話を伺ったのはThe 3Peaceのドラマー、梶原徹也さんです。
     99年のフジロック、グリーン・ステージで、梶原さんはチベット人ミュージシャンのナワン・ケチョとセッション。グリーン・ステージ前に集まったオーディエンスの度肝を抜きました。スリーピースとしても、99年、01年のフジロックに出演し、熱いパフォーマンスを披露してくれています。また、スリーピースはトドス・トゥス・ムエルトスやフェルミン・ムグルサといった、フジロックのクロージングを務めたアーティストとも交流が深く、過去に彼らと共にツアーも行っています。
     他アーティストとの交流、フジでのベストアクト、そして梶原さんも参加しているバリアフリー・ロックバンド、サルサガムテープについて、梶原さんは学生街の居酒屋でフランクに語ってくれました。ちなみにこのサルサガムテープ、20人近い大所帯、メンバーが演奏する楽器はギターやドラムから、ポリバケツにガムテープを貼って作った太鼓までと、そんな一筋縄ではいかない面白さがなんともフジロック的。そのライブ・パフォーマンスは忌野清志郎さんも大絶賛ということで、ぜひ注目してもらいたい。

    ---99年のフジロックでスリーピースが初出演、ナワン・ケチョとも共演していましたけど、あれはどういった経緯からですか?

     「あれはね、チベタン・フリーダム・コンサートがその年の五月にあったのかな。そこでナワンさんと初めて共演して、それで日高さんがすごい気に入ってくれたんですよね。日高さんがナワンに「フジロックに出ないか」って交渉してて。それで一緒にどうかっていう話を日高さん含めて三人でしてたら、私が「スリーピースっていうバンドを今やってて、このバンドも絶対いいバンドで、ナワンさんとも共演してマッチするバンドなので、一緒にどうですか」っていう流れからフジロック出演が決定して。ナワンさんが連れていってくれたようなものですよね、あの年は」

    ---ナワンとスリーピースの演奏するバイブがフジロックにすごく合っているように感じたんですが?

     「フジロックってすごい面白いよね、そういう意味でね。でも、フジロックって日高さんが掲げてる何か、そういうコンセプトなのかな。やっぱりお手本としてグラストンバリーとかそういうのがあると思うんだけども。やっぱりそういうのを実現させようだとか、ロックが社会にどういうものを提示できるのかみたいな、そういうのを真剣に考えてる感じがするよね。ロックを聞いて育った大人たち、いったい何を提示するのかっていう一つの形かなって思うよね」

    ---フジロックでトドスと知り合ったんですよね?

     「スリーピースとナワンがフィールド・オブ・へブンで出たときに、その後のバンドだったんだよね、トドスが。それで見てくれてて。マネージャーがちょうど日系の人だったんで、そこからいろいろ繋がっていったって感じかな」

    ---それからトドスと一緒に、スリーピースは南米のツアーに出たんですよね?

     「そうですね。なんか世の中不思議だよね。トドスもうちらも似てるコンセプト、メッセージを持ってたバンドなんで。あと年も同じぐらいだったのね。やっぱりクラッシュを聞いて育った世代でさ。それがパンクの発展系としてそっちの方に行き着いたみたいな。そこら辺の精神性もすごい似てたから。すぐに仲良くなれたってかんじかな。品行としては、とてつもなくめちゃくちゃな人達だったんだけど(笑)。全然ついていけなかった。やっぱりちょっと違うね(笑)。けど、精神的と音楽的にすごくお互いリスぺクトとして。アルゼンチン、メキシコ、ロサンゼルスを回らせてもらって。スペイン語圏ではトドスはすごい人気だったから。彼らと回らせてもらえれば、全然、お客さんもあったかい目で見てくれてって感じだったよね」

     「ブルーハーツの時にアメリカ・ツアーやってたから、英語圏のロックンロールに対するコンプレックスって無くなってたのね。ブルーハーツのニューヨークのライブの時に、ラモーンズのメンバーが見に来てくれてて。ベースのディー・ディーですよ。目の前ですよ。自分達の音楽聞きながら、ノッてくれてんだよね。すごい不思議な感じだったよね。すごい嬉しかったし。それでコンプレックスみたいなものは無くなったっていう感じはしてたんだけど。さらに今度は打楽器とか通してさ、サンバとかラテンの方にも興味がいってさ。ラテンに対してはものすごいコンプレックスがあったのね。やっぱり上手いミュージシャンはいるしさ、リズムの嵐だし。だけどさ、そういうラテン系と思われてるメキシコとかあと南米の国でもさ、そういうロックがあって。クラッシュの話をすればさ、「オーッ」って抱き合えるようなメンバーがいたりして。今の時代は世界どこでも、ロックっていうものが若者のフォーマットになって、本当に共通言語になってるなっていう素晴らしさだよね。ロックが本当に広がっていったら、ひょっとしたら世界はピースになっていくんじゃないかっていうさ」

    ---そこにもう言葉は関係ないんですね。

     「その人たちがそれぞれ発してくれたメッセージがさ、子供たちに伝わっていってさ。どんどん、どんどん広がっていけばね、何かが変わるんじゃないかっていう思いがしたよね。それがアルゼンチンで感じられたっていうのがさ、それは楽しかったよね。英語圏ならさ、まだわかるじゃん。それがアルゼンチンで、メキシコでっていう。そういう意味でのロックの可能性みたいなものも再発見できたよね。それは日本全国隈無く回ったあとに、そういうことを新たに感じられたっていうのはすごく嬉しかったよね」


    ---99年はジョー・ストラマーがグリーン・ステージで演奏してましたが、そのステージは見ましたか?

     「見たよ。それが複雑だったよね。もう、クラッシュの曲とかやったらさ、すっげえ盛り上がる自分がいるんだけど、メスカレロスの曲をやられるとどうしてもテンションが下がってしまう自分がいてさ。これは絶対よくないなと思いながらもさ、そういう風に反応してしまうじゃないですか。ちょっと複雑な気持ちで見てましたね。でも、とりあえずジョーがいてくれるだけでいい、っていうところもあったよね」

    ---そのときジョーと会いましたか?

     「楽屋で見たって感じだね。話はしなかったし。(物陰から覗き込む真似をして)「いた、あそこにジョーがいる」って。ジョーは誰かと常に話をしてるよね」

    ---フジロックで見たなかで、印象に残っているアーティストは?

     「トドスが凄いなっていうのはあったね。あと、トリッキーが完璧だっていうのはよく覚えてるんだよね。その頃打ち込みとの融合が面白いなって思ってて。マッド・カプセル・マーケットは、フジでは見てないんだけど、完璧だなって思ってて、そういうバンドは他にないかなって探してて。トリッキーは完璧だったね。ベスト・アクトはフェミ・クティですよ。二回見て踊りまくったね、本当に。信じられないってかんじだった。フェラ・クティほどドロドロっていうか、現地の音楽にいっちゃうとやっぱり聞きづらいっていうのがあって。フェミ・クティみたいにもうちょっと洗練されてくると、ノリノリ。ほんとハマったね。レイジは見れなかったのよ。ほんと、悔しかったけどね。その日名古屋でライブがあって。行けなかったんだよね」

     「ウッドストックが同じ年にやってたじゃないですか。で、ウッドストックに出た連中がそのままフジにも来てて。向こうは暴動になったりしたじゃないですか。でも、フジっていうのはすごいいい雰囲気で終わって。その違いをやたら「フジがよかった」って言ってるミュージシャンが多かったんで。その通りだなと思いましたね。コンセプトなりメッセージなりをみんながどう受けとめてどうやるかっていうことに尽きるなって」

    ---今まで出演してきた日本のイベントと違う感じはしましたか?

     「なんか違う感じがしたねえ。それはなんだろう、あの苗場の雰囲気に飲まれたのかなあ。一番前に行かなきゃみたいなのって日本にあるじゃないですか。そういう風にガツガツしてないし。後ろでのんびり見るっていうのがアリなんだなって。ロックをそういう風に聞くっていうのを提示してくれたのは、すごいなって思った」

     「あとはグリーン・ステージのハイスタのときに、お客が輪になってグルグルするやつに感動したね。あれって永遠のテーマでさ。ああいうパンク系の激しいバンドってさ、モッシュもあるし、ダイブもあるしさ。みんな前に押し寄せて前に怪我人がでたりさ。うちらはラフィン・ノーズの野音の事件のまっただ中にいた世代だから。もう大変だったのよ。警備は厳しかったし、警察が介入するってところまで行きかけたからさ。その嫌な思い出がすごいあったから。でもそうじゃなくて、前でも後ろでもいいじゃない、この空間を楽しもうよっていう。それが輪になって、前が後ろ、後ろが前ってさ。それをハイスタがグリーン・ステージでやってくれたっていうのは、ほんと感動したね。生では見れなかったんだけど、話しを聞いたり映像を見たりしてさ、これがフジロックだって思ったね」


    ---2001年は前夜祭の出演でしたね?

     「そうそうそう。でも、フェルミンがずっといたんで。もうそこにお邪魔させてもらって、ずっと最後までいたかな。あのときのベスト・アクトはパティ・スミスだね。あんなにいいとは思わなかったよね。ずいぶん昔の人ってイメージがあったから、見れたらいいかなって思ったんだけど。どうしちゃったんだろう、すごいパワーだったな。パティ・スミスは年をとって本当によくなったね。昔はちょっと怖かったもんな、生々しすぎて」

    ---パティはフジが気に入って、次の年はいくつかのステージでパフォーマンスしていました。

     「色んな場所でできるっていうのがいいよね。かおりさんとかが仕切ってるステージがあるんだけど。クイーンシーバの近くにセッションが出来る場所が。そこに誰でも来てできるようになっててさ、いろんなメンバーが来て。ブラフマンのメンバーとか、佐久間正英さんとか、マヌ・チャオのメンバーとか、トドスのボーカルだったフィデルとそのメンバーとかいろんな人が来て、自由にやって。ミュージシャンの垣根なく、いろんなところで遊んでるっていう。あと、よかったのはね、ドライ・アンド・ヘビー。ベースの秋本君がやめる最後のステージで。本当によかったね、緊張感もありつつ」

    ---フジロックやチベタンに梶原さん参加していますけど、ステージで自分の社会的な立場をはっきりと打ち出す日本のバンドってあまりみかけかせんよね。

     「もっと打ち出していったらいいと思うよね。NGOの活動であったりとか、社会的な活動っていうのを。例えば、チベタンにしてもステイトメントを出すバンドっていないじゃないですか、日本だと。アダム・ヤウクとバッファロー・ドーターのシュガーさんの二人がスポークスマンになってて。他に出るバンドは、大抵は「自分でよければ出ますけど」って言って、こういう問題に興味があるのって訊くと、「いや、別に」って言うよね。そこら辺はもっと積極的に言ってもいいんじゃないのってところはあったりするんだけどね」

     「例えば、清志郎さんは本当にいろんなところで会うんだよね。チベタンとか、サルサのコンサートとか。そういった普通のミュージシャンが敬遠しがちになるような場所でいっつも会うんだよね。そういうところに出演することによって、スタンスがはっきり打ち出されてるって感じはするよね」

    ---サルサについて聞きたいんですけれど、メンバーってどんな人たちなんですか?

     「一番上の長老の年が五十いくつだよね。一番若いので二十歳くらいかな。リーダーが五十前半くらいか。世代間のギャップも面白いけどね。でも、みんな仲良しなことは確かだよね。私たちが普通だって思ってることを踏み外してくれるから、すごい面白いよね。前はもうちょっと人数多くてごちゃごちゃしてたんだけど、ライブの最中にラーメンを食いにいった人がいてさ。それもさ、ライブ会場の隣とかで、すぐ帰ってくればいいもののさ、その人放浪癖があって、山手線かなんかで30分くらいグルーッとまわったところでラーメン食べてきてさ。帰ってきたら「ライブが終わってた。楽しみにしてたのにー!」って怒りだしちゃってさ。多分、その人はラーメン食べてるときに、サルサガムテープのバイブをだしてたと思うんだよね。やっぱりメンバーとしては欠かせないっていうか。ライブって「瞬間」なんだよね。サルサガムテープっていう「瞬間」にみんながバイブを出してくれれば、音は出してなくてもいいって感じかな」

     「サルサはフジロックにもピッタリだと思うんだけどね。野外とかむちゃくちゃ楽しいと思うんだけど。オゾマトリがみんなで演奏しながら入ってきて、ステージでやったらまたみんなで演奏しながら帰っていって、それにお客さんもついていってっていう。あんなの最高だよね。元々サルサって、見てる側をやってる方に引き込んでみんなで盛り上がろうよっていうのが発想だったみたいで。あれは音楽を聞いてる人、やってる人をごちゃまぜにしてステージでパフォーマンスさせたいっていうのが始まりらしくて。そういう意味では元々見てる人とやってる人の垣根がないからさ。それがもう、フジロックのステージの全員に広がったら楽しいなって思いますけどね。ハイスタのグリーン・ステージのときみたいにみんながひとつになったら楽しいだろうなあ」

     サルサガムテープのライブが1月17日渋谷ラ・ママであります。日も迫っていますが、ぜひ会場に足を運んで彼らのライブを体験してください。

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