--もう一つの後夜 祭--
FRF02が終わって2日が経ち、まだ余韻に浸っている人、すでに仕事や学校といった日常に戻って頑張っている人、今夏にある他のフェスにも行く計画を練っている人、でもまだリストバンドを切れずにいる人、みんなが今年の思い出を胸にすでに来年のFRFに思いを馳せているかもしれない。いやいや、まだまだ終わらないと赤坂ブリッツの後夜祭に足を運んだ人も多いことだろう。

ぼくにとっては今年は、自分史上最高のFRFだった(毎年そうなのかもしれないけれど)。MANU CHAOや元ちとせといった、この先何十年と語られてもいいようなライヴを体験することができたし、なによりもあの場所で再会したり、新たに出会ったりといった人々が増えたからかもしれない。みんなピースで素晴らしい人々、音楽以上に大切な財産だ。
赤坂で後夜祭が行なわれているちょうど同じとき、厚木ではRADICAL MUSIC NETWORKと題されたツアーに、FRF02でMANU CHAOや元ちとせにも負けないくらいのインプレッションを残してくれたBANDA BASSOTTIとFIDEL NADAL & QUINTO SOL、そして出演はなくてもクィーン・シーバを手伝っていたかおりさん、なんとかスケジュールを都合して3日目に遊びにきた原さんのTHE 3PEACE、そしてそのTHE 3PEACEの梶さんがニュ−・アルバムをプロデュースしたサルサ・ガムテープといったバンドが出演していた。
このフジロック裏後夜祭的なツアーも、実はFRFでの出会いがきっかけで、いろいろなつながりを生んで実現したものだ。FIDELは、FRF99に出演しその後THE 3PEACEと中南米をツアーしたTODOS TUS MUERTUSに在籍していたし、BANDA BASSOTTIは昨年のTHE 3PEACEのイタリア、バスク・ツアーを手伝っている(梶さんが自分のドラムセットを叩くBANDA BASSOTTIのペペを見て「イタリアじゃペペのドラムセットを借りたんだよ」と嬉しそうに話していた)。去年はTHE 3PEACE、BRAHMAN、FERUMIN MUGURUZA & DUB MANIFESTのFRF組が出演していた。
新宿で用事を済ませてから小田急線に飛び乗り、本厚木に向かう。アメリカの片田舎のモールといった趣きの会場FUZZY JIPANGに入ると、すでにTHE 3PEACEの熱くてタイトな演奏の真っ最中だった。とくにかおりさんのテンションが尋常じゃない、というか鬼気迫るものを感じる。準備からほぼ一週間苗場にいて、ほとんど寝る時間もなく、それでもワールド・レストランの深夜のセッションを毎晩行なっていたのだから、頭が下がる。というか信じられない気分だ。声はもう3日目の午後からまったく出なくなっていて、原さんが「THE 3PEACEで初めてコーラスができない」と笑っていたくらいだった。
苗場でかおりさんのFRFを総括した話を聞くつもりだった。しかし過去最高の動員を記録し、とくに飲食関係のテントは倒れるスタッフが出てもおかしくないくらいの忙しさ。そんな中、ぼくも自分の仕事に追われてただ「かおりさん、話聞かせてくださいね」とだけ一方的に伝えて、次の作業に向かった。
レッチリが演奏している真っ最中、人気のいなくなったワールド・レストランに行くと、憔悴しきってペタリと座り込んだかおりさんは、ぼくの顔を見て、今年はステージが出来る前から苗場に来て、それでステージが出来上がっていくのを見て‥‥と、すでに出なくなっていた声を振り絞って話てくれた。疲れ果ててもうそれ以上語れなくて、「8/2と4日に大阪でライヴやるんやんか。もしあれやったら、そのときにまた話できるから」とまで言ってくれた。無理をさせてしまった。申し訳なく思うと同時に涙が出るほど嬉しかった。
でもその後かおりさんは、BANDA BASSOTTIのクロージング・アクトのときはバックステージで踊りまくっていたし、FIDELやBANDA BASSOTTI、BRAHMAN、そして原さんが入れ代わり立ち代わり演奏していたクィーン・シーバの最後のセッションで、元気よくベースを弾いていたのだから、言葉もない。この日のライヴでも潰した喉でさらにシャウトし、ステージに倒れ込む。それに触発された原さんと梶さんの演奏も、どんどんタイトになっていくのがわかる。本当に素晴らしい人たち、本当に素晴らしいバンドだ。だからこそ、この日聞いた知らせに、なんだか失恋したような気分になった。
次はTHE 3PEACEのメンバーがそのまま残って、ズラッとリズム・セクションがフロアにまで溢れだしたサルサ・ガムテープ。メンバー一人一人の表情が輝いていて、マーチング・ドラムやパーカッションを叩く様が絵になっている。なによりも楽しさが伝わってくる。OZOMATLIも顔負けの熱いバンドだ。
そのサルサ・ガムテープがステージを占拠してしまった、FIDEL NADAL & QUINT SOL。クィーン・シーバの最後のセッションで、結局最後はQUINT SOLのメンバーが演奏していたのだが、小さなおもちゃのようなアンプと練習用の簡単なドラムセットでも充分わかるくらい、彼らの上手さは飛び抜けていた。そしてFIDELの七色の声を使い分けるヴォーカル。『ミクスチャー・エイジのラスタファリアン』という形容詞がぴったりの、フリーでヘヴィで抑揚に富んだ演奏は、盛り上がらないわけがない。そのことを一番素直に受け止めているのが、フロアで、ステージで踊っているサルサ・ガムテープのメンバーたちなのだから。
そしてこの日のBANDA BASSOTTIはもう最高だった(つまりTHE 3PEACEからBANDA BASSOTTIまで最高の演奏が続いたのだ)。一昨日のグリーン・ステージで見たときも良かったかもしれない。彼らのミックス・エンジニアである元NEGU GORRIAKのカキが「ここのPAシステムは好きだね」と話していたから、そんな理由もあるのかもしれない。
バンドの演奏自体はどちらの日も素晴らしく力強かった。ピッキオのアジテートな身振りも、観客が何千人といたグリーン・ステージと、この日のとても大きいとは言えないライヴハウスでも、なに一つ違わない。なにか自分の人生を賭けて、熱く闘っているんだ、とでもいうようだ。そしてなによりも、バンドの音の厚みが半端じゃない。タイトでプリミティヴでとにかくヘヴィなのだ。
コミカルなホーン・セクションの3人は、大きなフェスのステージよりも、ライヴハウスのような観客とコミュニケーションをとり易い場所の方が好きなのかもしれない。ステージ上での動きは小さくなってしますが、その分フロアに降りて、最後はハメルーンの笛吹きのように3人を先頭にぐるぐるとフロアを周回する、一つの大きな輪になる。ラディカルなメッセージとORIGINAL WORKING CLASSのプロレタリアの姿勢。それらはBANDA BASSOTTIを語るときに欠かせないのだが、でもこの陽気さとおおらかさが彼らの最大の魅力なのだと思う。
この日の厚木は、ぼくにとってたんにFRFの余韻に浸るのとは違って、FRFで出会った人達や、そこでできたつながりを日常で確かめることのできる場所だった。だからこれ以上にないくらい楽しかったし、素晴らしかった。笑顔と自然と込み上げてきた涙で、帰るときには心が一杯だったのだ。このRADICAL MUSIC NETWORK TOURは8/1高田馬場CLUB RHASE、8/3名古屋栄SON SET STRIP、8/4大阪心斎橋SUN HALL、8/6上野THE CHURCHと続く。
詳細はhttp://www.radical-music-network-tour.com
info@japonicus.comまで。
report and photo by ORG-ken. The copyright of the photos belongs to hanasan. (July 31, 2002)
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