
Fuji Rockin' People Vol.5 --豊間根氏(岩盤)--Part1
――フジが始まる前からの準備についてお聞かせください。
「DJ機材はMTVさんに協力をしてもらって、機材のセレクトは全部僕らでやりました。機材の調達はMTVさんにお任せしました。一部でうるさいと言わた機材は、僕らがかなり気合を入れて持ち込んだモノで... ウーハー2発に、フルレンジのスピーカー2発を積み上げて... たぶんフジのクラブテントであれだけのサウンドシステムを組んだのは初だと思います。ですからあそこまで盛り上がったのもサウンドシステムの勝利ともいえるんですが(笑)、これはMTVさんの協力のおかげなんです。...が、それも最終的にはブっ飛ぶという結末を迎えるわけです(笑)」
――物販に関しては?
「岩盤としては毎年あれだけのアーティストのCDを揃えるだけで大変なんですね。100組以上の全アーティストの全タイトル、約15,000枚を苗場に持ちこんでます。日本未発売のものはスマッシュの協力を得て... 日本で全く手に入らないものは、アーティストに直接持って来てもらっています。その最たるのがサーカス・オブ・ホラーのメンバーが作っているCDで、現地に持って来てもらって現地受け渡しで売ったわけです。
あとはグッズ関連...。グッズ類はスマッシュの協力で、コラボレートグッズを作ったことですね。オフィシャルスポンサーさんとのコラボレートというのはありましたが、岩盤とフェスティバルがコラボレートしたという形の初のケースですね。僕らの感覚では、フジロックは5年目なんでお客さんは準備万端で来るんですよ。コアなフェスティバル・ファンが多いので、お客さんが用意しないものを僕らが売ろうと考えたんだけど、なかなか思いつかなくて(笑)、日高さんとしげみさん(スマッシュ社員)のアドバイスをもらって(コスト的には無理をしたんですが)コラボレートジャンパーを作ったんです。今年は天気は良かったけど、涼しかったじゃないですか。真夏にジャンパーをつくる馬鹿はいないんですけど(笑)、フジの現場で物販に関してはあれが売れたことが一番嬉しかったですね。来年以降、上着は必要だぞ、と。でも、持っていかなくても現地で売っているよ、と」
――何日前から現地入りしていましたか?
「2日前に現地入りしました。水曜の早朝――前日は全く寝ずに遊んでいたのですが――に東京を出て、朝11時着。東京から職人4人、我々スタッフ3人、328とMTVのスタッフ計10人以上で乗り込んで...。あのブースを作り終えたのが夜の10時。とにかく僕は苗場の温泉に入ることが最重要目的だったんで(笑)――フェスが始まっちゃったら絶対は入れないでしょ?――ホテル本陣(旅館でしたっけ?)に電話を入れて『何時までやっていますか?』と聞いて10時半までというので、大急ぎでみんなで風呂に入って、そこから夕飯を食べて翌日に備えたということです。翌日は午前中から品出しで大忙し。音は昼過ぎにBGM程度のものは流していて... だから昼過ぎには店をオープンしていましたよ。お遊び程度にDJを始めたのが盆踊り後です。その時、レッドマーキーではライヴをやっていたんでお客さんはそっちに行くだろうと思っていたのですが、かなりの人が集まりだしちゃて... みんな狂ったように踊りだして...僕らも『何なんだ?この状況は?』って感じですよ(笑)。呆然としているところにノコノコと田中宗一郎さんが酒を飲みに来て... そのまま捕獲。そのままDJブースに連れて行き、彼が回し始たって感じでした」
――そんな急に始めたんですか。
「ウチは全部そうですよ。あのフジでの現場、前夜祭を入れて4日間、一切DJ達と何の約束もしてません。ブッキングなんて何にもしてないんです。信じられないかも知れないけど、DJをやってくれたみんなに聞いてみてくださいよ。みんな遊びに来たついで、酒を飲みに来たついでに『気分がいいからDJまでやっちゃった』って感じなんです。最終日にロッキンオン・ジャパンの編集長、鹿野淳さんなんて、牛串を食っていたところを、僕に捕獲され、そのままDJブースに連れて行かれ、彼は盤も何も持っていない状況で、田中宗一郎さんの皿で1時間回した、そんな感じです。
こういう事ってまさにフジロックですよね。ホントに何の約束も出来てなかったんです...。でも考えてみれば、僕は絶対こういう状況になるって信じてたんです。何の根拠もなくただ闇雲にね。だからあれだけの機材を用意して...。フジロックってそういう空間なんですよ...多分(笑)」
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Intro/Part1/2/3/4
reported by ORG-nob (Sept 7, 2001)
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