
Fuji Rockin' People Vol.5 --豊間根氏(岩盤)--Part2
――前夜祭は凄く盛り上がっていましたね。
「一説には350人くらい集まっていたみたいです。田中宗一郎さんは3時間くらい回したんじゃないかな。普段のGANBAN NIGHTでは1時間位なのにね(笑)。ノーギャラで3時間だもん。おもしろい、タナソウさんはおもしろいよ。前夜祭は、基本的に夜中の一時までで音を止めなきゃいけなかったんです。でもここではっきり書いてください! 本当に本当に僕はこのルールを知らなかったんです(笑)。レッドマーキーの終演が1:00までっていうのは知ってましたよ。でもクラブテントも1:00で終了っていうのはホントに知らなかったんです。ということで、田中さんが終わって、僕が翌日ラモーンズの追悼セレモニーがあるんで集まってくださいというようなことを喋って、そのあとで、スーパー・バター・ドッグの竹内さんを紹介しちゃったんです(笑)。この後竹内さんで3時くらいまで行くつもりでしたから(笑)。ですが、ストップがかけられてそのまま終了。竹内さんゴメンナサイですよ(笑)。『スーパーバタードッグの竹内朋康!!!』って紹介して『ゴメン、やっぱり終わり...』だって(笑)。前夜祭からメチャクチャ情けない、相変わらずのかっこわるい岩盤でした(笑)」
――フジロック本番3日間の話をお聞かせください。
「初日はエイジアン・ダブ・ファウンデイションのパンディットGが夜中の一時半くらいから回し始めました。きっかけは『やってよ』と声をかけて、彼らもやりたがりなので来てくれたんです。名前は忘れましたが新しいMCの人が歌ってくれて、ダブだけでなくてラガとか... 凄い格好良かったですね。その時フッと見るとボアダムスのアイさんが踊り狂ってたり... あとブンブンのメンバーは皆勤賞で最終日まで踊ってくれて、飲んだくれてましたね(笑)。
2日目はイデダイスケ。あいつは『30分全力投球で行きます』と言って皿5枚だけでDJブースに入っていったんですが、結局3時間回しました。ほとんど僕のネタで『楽しい!楽しい!』って叫びながら3時間回しました。で、回しながら酒を飲み過ぎて、最後『豊間根さんもうダメです』と一言残して、僕とDJを代わったら、途端にもう彼の姿はなく、翌日話を聞いたところ、『みるく』のブースの前の椅子でそのまま寝ていて、ホテルに運ばれていった、と。ダメ人間イデダイスケ本領発揮(笑)。
最終日は、田中宗一郎、鹿野淳、大沢睦生(SNOOZER/freak affair)が回しました。そんな感じでしたね」
――今年は、各ブースのサウンドシステムが活発になりましたね。
「それはやらせてくれる側のフトコロの広さですね。決してこれは日高さんと話し合って計画したことでなく、僕らがやりたいようにやらせてくれて、盛り上がった結果ですね。いかに出店者も楽しむかということですね。実際出店者はきついんですよ。どんなに遅くても朝10時に店を開けなくてはいけない。ご存知の通り、岩盤テントは毎朝6時まで。そこからお金を集計して寝るのが7時か8時です。去年もそうですけど、スタッフは睡眠時間は2時間とかです。どうせきついんだから楽しまないといけない。楽しみながら乗り越えた感じですね」
――DJのネタはどういう傾向で持ってきたのですか。
「全く考えていませんでした。全部自分たちの趣味で、出演者ネタは持ってきたけど、特にこだわりませんでした。僕は古い音源が大好きなんで、シュープリームス、ロックパイルとかも持って行ったし。昼間は誰を踊らせることなく好きにかけていたんで、僕らは楽しかったですよ。それでフッと聴いてみると、目の前のライジングサンのブースからディランが流れてきたんで、凄い良かったですね。その辺を考えてやったかどうか知らないですけど、雰囲気に合ってて良かったですね」
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Intro/Part1/2/3/4
reported by ORG-nob (Sept 7, 2001)
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