
Around The Fest. Vol.5 --スリーピース--Part1
たとえば'97年、レイジ、レッチリ、グリーンデイ... 日本にもこんなフェスができるんだ! というキッズの興奮した声が聞こえてくるような、あのフジロック誕生当時の状況を彼らはどう見ていたのだろうか。いきなりそんな質問をぶつけてみると、なんとバンドの紅一点、永野が客として参加していたことが発覚。その年のお目当はなんだったのだろう。
「レッチリ! ...あのね、時間がおしてたのはわかってたんやけど、次、レッチリやと思ってグワーッと前行ったんですよ、雨の中掻き分けて。なんかセッティングおかしいなあ、なんでレッチリやのにマーシャル五段積みとかなってんやろうとか思ってたら、イエモンが始まって(笑)。それ以来イエモンの大ファンだと思われてる... いや、好きやで?(笑)」(永野)
「いやあ、ていうかあの年はレイジでしょう! 俺は行ってないんすけど、画像で観てもレイジはもう、凄かった...。
実はその頃ってね、'97年...ちょうどスリーピース結成の年か。それまでは俺はロックから遠ざかってて、個人的に。ソウルとか黒人音楽とか、民族音楽とか...今のロックってのは本当にニルヴァーナくらいしか知らなくて。フジロックでレイジってものを知って、すごくロックに目覚めたというか。それはでかかった」(原)
でもまさか当時は自分がそのフェスに出演することになるとは、「夢にも思わなかった(原)」し、「全然考えてなかった(永野)」とのこと。
そんなスリーピースのフジロック初出演は'99年。出演のきっかけは人とのつながりだった。
「梶君(梶原哲也・Dr、ex.THE BLUE HEARTS)がチベタン・フリーダム・コンサートでナワン・ケチョさんというチベットの民族楽器をやる人とセッションした時に、日高さんがそれを見てて。バンドで(フジにナワンさんと一緒に)出ないか、という話になって。それがきっかけですね」(原)
そして'99年の初出演時、ナワン・ケチョ&ザ・スリーピースという形で彼らは二日目のフィールド・オブ・ヘヴンに登場した。ステージには意外なゲストがジャンベを持って参戦したという。その年の初日、グリーン・ステージでの出番を終えていたハイ・スタンダードのヴォーカル&ベース、難波章浩氏である。余談だが前日のハイ・スタンダードのステージにもまたナワン氏が参加していた。
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reported by ORG-joe&photo by ORG-saya38 (June 25, 2002)
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