
Fuji Rockin' People Vol.11 --ホワイト・ステージのPAのヘッド、東さん--Part1--
【97年の強烈な思い出とは?】
その1日目に台風がくるとなった時、普通ならこのイベント中止なのにと思っていたら、「あれ?このイベントこのまま行くとやるぞ」と言う状況になってきた。その辺りから何か違うなと感じたな。そしたらホンマに違った。こごえて倒れている人もいたりする、新聞などでいう悲惨な状況が目の前に広がったんや。「だいじょうぶか、だいじょうぶか」とスタッフも声をかけていってな、トイレに入ったら凍えて震えている人がいて、そこを"ごめんちょっとトイレ使ってもいい?"なんて聴いていた。
何か違う? 何か違う?と思っていたんや。このイベントはなんなんや? 何が起こっているのんやと、パニックになってな、"自分はスタッフやねんな"と自問自答していた。
初日おわって本部に入ったら、倒れている人やTシャツを配っている人が溢れかえっていたんや。あの神戸での地震の時小学校の避難所にヴォランティアでいったんやけど、その時の光景に似ていて、怖さを感じたな。その時自分は何も考えられなくて、「この先どうなるんやろ」といった状態やったね。正直どうなるのか、どうすればよいのか分からなかったしな。ちょうどその時、大雨の時の映画『ウッドストック』とフジ・ロックが繋がったんや。まさしく光景がシンクロしたという感じやったね。
そうこうしているうちに、二日目中止の連絡があったんやけどな。結局二日目は晴れてんねんな。まあ自分達から見れば日高さんはやりたかったんやろうなと思ったけど、あの時あの場面で中止という決断をする日高さんの勇気っていうものがすごいなと正直思った。変な話地方のイベントやったら"台風が行った後やります"なんていうのはけっこうある話なんだよね。興業ということを最優先させてやってしまうイベントはあると思うのよ。その中で中止の決断を下した日高さんという人の、人間の大きさというとうか『そんな決断出せるか普通』といった印象を持ったな。とにかく俺の中ではやるやったからね。だからこの中止という判断にはびびったな。まあ日高さん的には「あほーこの状況みろやー。やれるかー」といった状況下も知れんけどな。まあやっぱりその決断という事があの年の一番の思い出やな。 Part2へ
Intro/Part2/2/3/4/5 reported by ORG-naoto (July 13, 2002)
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