
Fuji Rockin' People Vol.11 --ホワイト・ステージのPAのヘッド、東さん--Part2--
【衝撃的な決断をした日高さんを見たことが97以来、今では6年続くフジ・ロックへのエネルギーへとなったのですか?】
97年の時のHPへの苦情はすごかったな。(*1)そしてみんながいうどの意見も正解だと思う。ただな、周りのある種抽象的な意見に日高さんは振り回されていなかったんや。すぐに来年もやると言っていたしな。俺らもな、本当のフジ・ロックのピリオドをまだ見ずに、日高さんのピリオドしか見ていない訳やから、正直このフジロックが正常に終わった時のピリオドを見てみたかった。俺からしたら「この先もつきおうたるでー」といった気持ちやったね。
結局98年は豊洲になるわけや。でも豊洲では"こんなに便利でいいの?"といった状況やったんや。そこに「何か違うね? これじゃないよ」といった思いが浮かんできた。もうそうなったら日高さんとか俺らスタッフがイメージしていたフジ・ロックはこれじゃなかったんやないかという疑問が浮かんで来た。そんな中で99年の苗場に移るわけよ。
【99年に何か"信じられない"というものを見たんや。それはマンパワーというものであり、みんなの一つになった意識やった】
まあホンマに苗場はすばらしいとこよね。環境も空気も綺麗やし上手いし。それにな、花房さんがホワイトの司会で「みんな足元を見てくれ! こんなきれいなフェスはじめてや! みんなの協力があってこそだね。」と言った時、「確かにそうや」と思ったんや。それは
97年の時に大問題になったゴミの一件があって、自然に対する思いがあの時からみんなの中で変わったんやと思う。山をなめるなというか自然をなめるなという教訓がみんなの中に生まれていたんだと思うな。99年はお客さんも何か違うって思った年だったんちゃうかな。
98年はSMASHが用意した物をお客さんが見にきた感じやったけど、99年の苗場以降ではSMASHが用意した物をお客が楽しみにきた状態に変わったと思う。"見に来た"から"楽しみに来た"に変わって行った。いっしょに楽しもうという意識がスタッフにもお客さんにもあったしな。そういった結果99年はみんなの協力があわさってすごく上手くいったよな。その時初めて「ああ、97年は上手くいったんや」と感じた。正直その前までのイメージでは97年は失敗したイベントだったんちゃうかなと思っててん。でも、99年に何か"信じられない"というものを見たんや。それはマンパワーというものであり、みんなの意識であり、右向け右じゃない、みんなで右いこう的なひとつになった意識やった。
*1.97年のフジロックフェスが台風で中止になった事などに関して、フェス後BBSなどで、客からの罵詈雑言から抗議や苦情が数多く届いた。
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Intro/Part3/2/3/4/5 reported by ORG-naoto (July 13, 2002)
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