
Around The Fest. Vol.8 --HMVマーケティング部門長の藤田浩さん--Part2--
【フジロックで音楽から受けたものを、音楽に対するビリーブというか、やっぱり俺は好きだぜ、やっぱり俺は間違ってなかったぜ、みたいな何かを持ち帰ると思うのね、毎年】
――藤田さんはお客としてフジロックに全部行かれているとお伺いしましたが、フジロックについてどう思っているか、印象などを教えてください。
「やっぱり、フジロックずっと見てきて、一回目の苗場(99年)のケミカルブラザーズのときほとんど全員が踊ってたところに立ち会ってて、高揚感というか、これがフェスティバルなんだなぁというのを 今までの私を含めた洋楽ファンというのは、なんかウッドストックやグラストンベリーがああだこうだと情報だけは入ってくるし、その中継をTVで見る機会はあったけど、それを自分で体験して、なんで、ウッドストックでステージ前方の客の連中は泥だらけになってんだよおまえら、みたいな。その高揚感はわからなかったじゃないですか。だけどあの苗場でのケミカルでみんなが踊ってるのを、俺も見て、踊っ
てて、で、見上げれば星空、みたいな。そのときにフェスティバルエクスタシーを感じましたよね(笑)。
そのフェスティバルエクスタシーがやっぱり忘れられないで、体験したくて、毎年みんな来るんだろうし、音楽って結構自分と向き合うものだから、そこで得た感動みたいなもの、それは、抽象的だけどもフジロックで音楽から受けたものを、音楽に対するビリーブというか、やっぱり俺は好きだぜ、やっぱり俺は間違ってなかったぜ、みたいな何かを持ち帰ると思うのね。だから、やっぱり自分は音楽、CD屋を経て本社などにいて、だんだんクールに普通にモノを売ってるような世界になってきてるところで、自己ルーツというか、やっぱり俺は音楽好きだったんだぜ、と感じるために利用してますよね、毎年。抽象的なんで言ってる意味伝えきれてますかね?(笑)」
――フジに来るみなさんもそうですよ(笑)。
「それと印象深かったのは一回目の(台風直撃によりいろいろな障害が発生し、会場にたどり着くまでや途中中断したり、雨のなかTシャツずぶぬれだと本当に寒い、など本当にいろいろあって)ようやくレッチリまで辿り着いた、という、あれはやっぱり辛かったし、フェスティバルという夢を描いてて、うちわとか作ったりしてて会社的なこともあるんだけど、個人として、楽しみにしてたモノがこんなカタチだ、と。こんなカタチになっちゃった、と。くやしいけどなんとかここまで辿り着いたぜ、みたいな。(そのときのレッチリの演奏は)4曲ぐらいだったんだっけ?あの4曲は忘れられない。でもいつかきっと、レッチリがこれ以上出来ねぇんだよみたいなことをって言って帰っていく時に、この場所にいてこの4曲を聞いたことが歴史になるぜこのヤローみたいな(笑)、って思ったね。それは忘れられないですね。それがあったからこそ、仕事で関係してるからとかなんでもなくて、苗場のエクスタシーを迎えられたって気もするし。(今までのフジロックを振り返って)2回目の豊洲でのフジはちょっと違う感じしましたね。違和感あったしね。これでいいのかな?このまんまどうなっちゃうんだろう?、っていう「?」があったよね」
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Intro/Part1/2/3/4 reported by ORG-nob (July 24, 2002)
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