【「報道の自由」?】
――98年豊洲の後の報道にいろいろ問題がありましたが。
「ちょっと回りくどい言い方していいですか。その時期、某大手イベンターの社長から『何やっている?』って聞かれて、『フジロックやっている』って言ったら『危ないな、お前』って言われましたね。音楽業界には、まだ日本でフェスが成立するとは誰も思ってなかった。ホールコンサートをベースにやっている人たちにとっては、フジロックは危険極まりないと思われたんでしょう。アーティストも『何でいっぱい出るの?』って不思議だったのではないでしょうか。
豊洲のことは悔しくはなかったんですけど、よくマスコミが『表現の自由』とか『報道の自由』といいますね。これが『報道の自由』かと逆に思いました。なかったことをあったように書いているわけですからね。それが『報道の自由』なのかと思ったらつまらなくなりました。僕達はいつも音楽の担当者と仲良くやりたいし、決して事件記者と仲良くはしてないし。あれを書いたのは社会部の方々ですから事件が起こるのを待っているでしょう。豊洲では報道のヘリコプターを4機も飛ばしたロックイベントはなかっただろうし、フジロックが持つ勲章です。
某テレビ局に対して最後まで怒っていました。それは、朝からニュースに『(1日目に)350人が倒れて主催者は新たに日よけテントを用意して今日に当たった』という報道がテロップで流れてましたからね。お客さんがビーチパラソルを開いただけなんです。新たに日よけテントを用意してないんだから誤報でしょ?ということです。
後日談を言いますと、あの日は深夜の5時か6時くらいまで夜中じゅう某局の部長と称される方と怒鳴り合いの喧嘩をしていました。『テロップを変えて下さい、何も問題ないんだから』って。最終的にはその部長は『日高、高瀬、お前どこの出身だっけ?』『熊本と大分ですよ』って言ったら、『お前さ、どうせ子供のときに盗みやってんだろ?どうせロックなんかやってんだから。盗みやってんだろ?おれ、お前を調べることが出来るからさ』という脅しという域までいってました。怒っているとか悔しいとかじゃなくて、間違いを間違いとして出せばマズいじゃないですか、って言っているだけですけど」
「わざと寝ている写真を撮って『バタバタ倒れている』って書いたり、足の不自由な人が車椅子に乗っている写真が救護されていると書かれたり和歌山県の毒入りカレーの事件があったら『毒入りカレーの噂が流れた』書いたあのスポーツ新聞もあった」(寺田さん)
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