【いつも現場主義】
――では、こうしたことがバネになっているということはありますか?
「全部なっています。前例がなくて、誰もやったことがないわけですからこういったフェスは。一回一回勉強しながら、いつも現場主義っていうか。
そう言えば、1回目のフジロックの時は新聞社があまり来ていなかった、だから大きな報道にならなかったんです。豊洲のときのような『報道の自由』を言う事件記者はいなかったですし、フジロックはツイているんです。
苗場に移ってから嬉しかった記事は『ビール片手にのんびり音楽フェスを楽しむ』という言いかたが好きでした」
――今年のフジロックの感想は?
「これはね、誰も使ってくれなかったんで、あまり面白くなかったのかも知れないけど、井上陽水のステイトメントを僕なりに考えたんです。『フジロックは初めて歌で泣いた』。フジロックでこれまでも涙したのですが、ちょっと涙が違った。完璧なキャッチコピーと思ってスポーツ新聞あたり使ってくれると思ったんですけど。今まで感動の涙とかいろいろあるんだけど、歌で泣いたのは初めてじゃないかと。でも、どこも使ってくれず失敗です」
――フジロックは始まった頃と変化したところはありますか?
「みんな本当に楽しそうですね。グリーンステージの舞台監督の岡田さんと渋谷でよく飲むことがあって、去年のテーマが『もっとお祭りは楽しいはずだ――フジロック』で、今年の場合は『人間の輝き』ってどうかと話していました。岡田さんにはクサいって思われたようで。報道の担当者には毎年毎年標語を作っています。スタッフ見てもアーティストも参加者を見てもみんなが楽しそうで輝いているじゃないですか。それをメディアは一言で言わなきゃいけないところもあるんで、ちょっとクサいけど『人間の輝き』。
あとは扱う記事のサイズが大きくなってますね。ロック・イン・ジャパンやサマー・ソニックなどが夏の3大イベントと言われているでしょうけども、フジロックは別格であるという認識をメディアの人も確実に持っているようです」
――フジロックに対して「こうなったらいい」とか望むことはありますか?
「来年もまた今年と同じようにフジロックに行きたい、こうしていることを続けたいですね。
この前、BSでグラストンベリーの様子をやっていて14万人ということでしたが、フジロックは9万人ですね。もう来たんですよ。グラストンバリーのいい部分をどんどん取り入れて兄貴分みたいなところがありましたが、夢でもあるグラストンバリーにフジロックは肩を並べるようになったと確信しました。だけどフジロックはオンリーワンですよ」
「やっぱ違うじゃない。すべての人が気合入っているし、楽しんでいるし。どっかにシワ寄せで辛い思いをしている人がいるけど、確かに作業的には辛いけど、そういうことを超えたところで楽しいのはフジロックしかないよね」(寺田さん)
「ある年代の人にとっては、いつかウッドストックみたいなフェスを作りたいってみんな思っていたでしょうね。でも、日高さんがスパっとやっちゃった。みんなやりたくて出来ないことでしたね。そこにはスマッシュがずーっと大切にしているアーティストが出ているわけです。ロックの世界遺産みたいなアーティストをいっぱい集めても、金ばっかりかかって出来ないでしょうし、ジェネレーションギャップが生じます。フジロックは世代を超えて楽しむことを目指しています。
私は、もう30数年こんな仕事をやってきましたが、フジロックフェスに出会ったことは光栄なことです。参加者やアーティストや良いスタッフみんなの笑顔や輝きはこれまでどこの場所でも出会うことが出来ませんでしたし。
締めくくりなのですが、私たちは、いつまでもフェスのアプリオリ(祖型)としてのウッドストックをことさら連呼する必要はないと思います。時代も違いますしね。また、今後フェスは少なくなることはなく、増えるはずだし多様化もしていくでしょう。フェスは21世紀が必要とするという今日的意義の方に重点を置くべきだと思いますね。フェスは現実的でもあるし、あらゆる意味で直接的なコミュニケーションを担うものであるし、私たちが好きなお祭りも時代によって変わっていいはずです」
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