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ライジングサン山本プロデューサーに訊く 〜フジロック編〜
●R.S.Rのプロデューサーとしては、フジロックをどう見ていますか?
「お兄さんだね。それまでの過去2年はいろんな情報とか、スタッフに話を聞いたりしてたんだけど、実際に初めてフジロックに行ったのは'99年なんですよ。そのときに行って感じたことっていうのは、もう目に入るものが全部が衝撃的で。まして、僕なんかは北海道からかなりの時間をかけて行ったから、余計に感動がわき上がって来て。すごい楽しかった。あと、その年にはR.S.Rもやるってことで、ここまではできないにしても、そこに近付けていくことがやっぱりフェスティバルを作る僕の仕事になるんだろなって感じましたね」
●その'99年のフジロックでお客さんを見て、何か感じたことはありましたか?
「あの年はすごく天気がよかったんだけど、お客さんから楽しさが滲み出てたね。本当にお客さんそれぞれが、楽しみ方をちゃんと知ってるなっていう感じがあって。過去2年間に台風とかも経験してるから。タフなイメージと、本当に楽しんでいるイメージっていう、この二つが目に飛び込んで来たっていう感じだね」
●フジロックにはR.S.Rのブースも出されてますよね
「そうだね。R.S.Rはまだまだ知名度もなかったんで、やっぱりフジロックに来てくれているあのお客さんが、R.S.Rの一番のお客さんだろうなということで、日高さんにお願いして、色々ブースを出させてもらったりして。'00年のときはフリーマーケットもやったんだよね。'01年のときは、オアシスのところに2階建てのDJブースも出させてもらって。岩盤さんとバンバン、音を競い合って、スタッフからはひんしゅく買って。あの年はちょっと無茶しましたね、確かに」
●でも、あれ、楽しかったんですけどね。でも、やっぱり「うるさい」という声もあって

「そうそう。翌年はある意味島流しのように、岩盤さんと二つ、奥のほうに行って。うん、でも、やっぱり楽しいよね。でね、やっぱりこだわりが大事だっていうことで、わざわざ札幌からフェリーで麺を運んで、ラーメンを出したりもしたんだよね。とうもろこしとイカ飯も用意したんだけど、圧倒的にラーメンが出たな。
あのブースってさ、『R.S.Rってアーティストに助けられてるな』って思うときが、多々あって。あのブースを作った目的ってR.S.RのPRと、もうひとつあってね。R.S.Rとフジの両方出てるアーティストって多いじゃないですか。そういうミュージシャンたちが、お客さんと同じように、会場内をぶらぶら歩いて、他の人たちのライブを見たりして、それであそこのR.S.Rのブースの裏で休んで、ちょっとブースも手伝ってもらうっていう。イカ飯とか、とうもろこしが意外に売れなかったときに、イースタン・ユースのメンバーに『イカ飯最高』とか書いてもらったり、ケムリのメンバーに『とうもろこしウマイ』とか書いてもらったりして」
その1 | その2 | その3 | その4
interview by ORG-rad and photos by ORG-hiroqui & ORG-keco. The copyright of the article belongs to Yohei "rad" Kobayashi and the same of the photos belongs to Hiroki "hiroqui" Nishimura & Keiko "keco" Hirakawa. They may not be reproduced in any form whatsoever.
(June 22, 2004)
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