【内田裕也のマネージャーは2年半あんまり体験できないことを体験したでしょ。貴
重なことだと思います】
――大久保さんは、内田裕也のマネージャーやロッキンオンの編集者をやっていたと聞いていますが。
「ロッキンオンの創刊を渋谷たちとやって、僕は日本のロックに興味があったんで、四人囃子と出会って、ロッキンオン辞めて四人囃子のほとんど専属スタッフになった。四人囃子をやっているうちに内田裕也と知り合って、裕也さんのマネージャーがいないっていうんで、とりあえずやる羽目になって、裕也さんの事務所が潰れたちゃったもんだから、ロッキンオンに戻ったけども。
やっぱり社会的なつながりそこが重要だと思ったから、アトミックカフェを始めてアトミックカフェをやっているうちに、どういうわけか日本の政治って文化がないから、お呼びがかかって社会党と付き合うようになって、(都議会議員に)立候補する羽目になっちゃったんですよ。そういう流れですね」」
――内田裕也のマネージャーって大変なことだと思いますが・・・
「大変ですね。社会的な適応能力のない人だからね(笑)」
――そんなこと言っていいんですか(笑)
「それは、まあ大丈夫でしょ、見ていないだろうし。24時間、365日関係ない人だからね。突然夜中に呼び出されたりさ・・・無理難題?だったのかどうかよくわかんなかったね。若かったから。とにかく、やるっきゃないっていう感じでやっていたでしょ。だけど、面白かったよ。今までと違う世界に生きてきたわけだから。芸能界でもないし、といって今風の音楽ビジネスのルールに則った人じゃないから。非常にアナーキーな世界だから。何をつけてもアナーキーですよ。エピソードね・・・ここでは喋っていいけど、ネットには出せないだろうな・・・(面白過ぎて載せることが出来ません。申し訳ありません)・・・でも、楽しかった。大変だったけど。
あとはジェフ・ベックとかフランク・ザッパとか超一流のミュージシャンとの企画イベントをやって一緒にツアーしたし。ニューヨークドールズとかも一緒にやりましたよ。ちょっと経験できないことだね。だから、でっかいことやりすぎて(事務所が)つぶれちゃったんだけどね。
2年半あんまり体験できないことを体験したでしょ。貴重なことだと思いますよ。・・・なるべく近づかないようにしていますけど(笑)。年に一度のオールナイトコンサートだけは行きますけど」
――ロッキンオンでは何をしていたのですか?
「ロッキンオンでのメイン仕事は営業でスポンサー取りで日本のレビューを書いていました。一時期はレゲエしか聴かなかったときがありました。昔、渋谷と一緒にローリングストーンズをロサンゼルスまで観に行って、ストーンズと一緒にボブ・マーレーがやっていて、同じ日にストラングラーズもやっていたんで、3つハシゴしたけど、ボブ・マーレーが一番良かった」
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