Fuji Rockin' People Vol.4 --豊間根氏(岩盤)--
---Fuji Rock Festivalにはいろんな分野から数多くの人たちが関わり合っています。というので、そんな人たちを紹介しようと思ってこのシリーズを始めました。誰が最初に登場するとか、そういったものは無関係です。ランダムに様々な人たちにインタヴューをして、どんどんアップしていく予定です。---- by ORG-master
今年のフジロックで変わったと実感させたものの一つに、各ブースが出したDJブースがある。去年もDJブースを出した店はいくつかあったけど、今年は規模が大きくなり、これが夜のオアシスエリアの主役になった感じがする。
その中の一つである岩盤&328&MTVのブースからGANBAN-MASTER豊間根(TOYOMANE)さんに話を伺った。準備から後片付けまで「死ぬほどキツいけど、楽しい」前後入れて5日間の話を読んで下さい。
――今回、岩盤と328とMTVが共同でブースを出店したきっかけを教えて下さい。
「GANBAN-NIGHTというイベントをウチと328といつも共催しているんですけども... 去年のフジロックも岩盤は物販ブースとして出店していて... 去年もウチのスタッフは仕事が終わると328に飲みに行くという状況で、どうせならテントをくっつけちゃおうという話になって、飲食と物販のブースがくっついているのは面白いかなと。それで岩盤にはシンジケートという会員組織があるので『会員の子たちから休めるスペースを作ろう』ということで328に声をかけたんです。その後MTVさんもウチと一緒にやりたいと声をかけてくれたんで、一緒にやることになりました」
――で、今回は飲食・物販だけでなく、DJブースが注目を浴びましたが、DJブースどう誕生したのでしょうか?
「GANBAN-NIGHTというイベントがなんとか定着してきていて... 6月にフジロックの前夜祭in TOKYOというイベントを西麻布のイエローで開催しました。このイベントの時に、いつもGANBAN-NIGHTで回してもらっているDJの人たちとの酒飲み話で苗場でも出来たらいいね、というところから、やろうよということになりました。これは商売抜きでDJの人と僕らだけで楽しそうだからやったって感じですね。それが、願ってもないことですけど、あれだけの数のお客さんに楽しんでもらったということで... 嬉しいことですね」
――前夜祭では主役といってもいいくらいでしたね。
「正直、あんなに集まるとは思わなかったんで、ビックリしています。野外であれだけの人たちが踊っているのは壮観でしたね。GANBAN-NGHTの常連のお客さんも相当踊ってましたね。正面のブースではライジングサンのブースがあって、最終日はかなりの人気ミュージシャンの方も回していたじゃないですか。お客さん全部取られるかと思ったのですがGANBAN-NIGHTの常連さんは結構残ってくれたんで、GANBAN-NIGHTというイベントも定着したのかなあって思って嬉しくて... でもまだ『かなあ』程度ですけど(笑)」
――フジが始まる前からの準備についてお聞かせください。
「DJ機材はMTVさんに協力をしてもらって、機材のセレクトは全部僕らでやりました。機材の調達はMTVさんにお任せしました。一部でうるさいと言わた機材は、僕らがかなり気合を入れて持ち込んだモノで... ウーハー2発に、フルレンジのスピーカー2発を積み上げて... たぶんフジのクラブテントであれだけのサウンドシステムを組んだのは初だと思います。ですからあそこまで盛り上がったのもサウンドシステムの勝利ともいえるんですが(笑)、これはMTVさんの協力のおかげなんです。...が、それも最終的にはブっ飛ぶという結末を迎えるわけです(笑)」
――物販に関しては?
「岩盤としては毎年あれだけのアーティストのCDを揃えるだけで大変なんですね。100組以上の全アーティストの全タイトル、約15,000枚を苗場に持ちこんでます。日本未発売のものはスマッシュの協力を得て... 日本で全く手に入らないものは、アーティストに直接持って来てもらっています。その最たるのがサーカス・オブ・ホラーのメンバーが作っているCDで、現地に持って来てもらって現地受け渡しで売ったわけです。
あとはグッズ関連...。グッズ類はスマッシュの協力で、コラボレートグッズを作ったことですね。オフィシャルスポンサーさんとのコラボレートというのはありましたが、岩盤とフェスティバルがコラボレートしたという形の初のケースですね。僕らの感覚では、フジロックは5年目なんでお客さんは準備万端で来るんですよ。コアなフェスティバル・ファンが多いので、お客さんが用意しないものを僕らが売ろうと考えたんだけど、なかなか思いつかなくて(笑)、日高さんとしげみさん(スマッシュ社員)のアドバイスをもらって(コスト的には無理をしたんですが)コラボレートジャンパーを作ったんです。今年は天気は良かったけど、涼しかったじゃないですか。真夏にジャンパーをつくる馬鹿はいないんですけど(笑)、フジの現場で物販に関してはあれが売れたことが一番嬉しかったですね。来年以降、上着は必要だぞ、と。でも、持っていかなくても現地で売っているよ、と」
――何日前から現地入りしていましたか?
「2日前に現地入りしました。水曜の早朝――前日は全く寝ずに遊んでいたのですが――に東京を出て、朝11時着。東京から職人4人、我々スタッフ3人、328とMTVのスタッフ計10人以上で乗り込んで...。あのブースを作り終えたのが夜の10時。とにかく僕は苗場の温泉に入ることが最重要目的だったんで(笑)――フェスが始まっちゃったら絶対は入れないでしょ?――ホテル本陣(旅館でしたっけ?)に電話を入れて『何時までやっていますか?』と聞いて10時半までというので、大急ぎでみんなで風呂に入って、そこから夕飯を食べて翌日に備えたということです。翌日は午前中から品出しで大忙し。音は昼過ぎにBGM程度のものは流していて... だから昼過ぎには店をオープンしていましたよ。お遊び程度にDJを始めたのが盆踊り後です。その時、レッドマーキーではライヴをやっていたんでお客さんはそっちに行くだろうと思っていたのですが、かなりの人が集まりだしちゃて... みんな狂ったように踊りだして...僕らも『何なんだ?この状況は?』って感じですよ(笑)。呆然としているところにノコノコと田中宗一郎さんが酒を飲みに来て... そのまま捕獲。そのままDJブースに連れて行き、彼が回し始たって感じでした」
――そんな急に始めたんですか。
「ウチは全部そうですよ。あのフジでの現場、前夜祭を入れて4日間、一切DJ達と何の約束もしてません。ブッキングなんて何にもしてないんです。信じられないかも知れないけど、DJをやってくれたみんなに聞いてみてくださいよ。みんな遊びに来たついで、酒を飲みに来たついでに『気分がいいからDJまでやっちゃった』って感じなんです。最終日にロッキンオン・ジャパンの編集長、鹿野淳さんなんて、牛串を食っていたところを、僕に捕獲され、そのままDJブースに連れて行かれ、彼は盤も何も持っていない状況で、田中宗一郎さんの皿で1時間回した、そんな感じです。
こういう事ってまさにフジロックですよね。ホントに何の約束も出来てなかったんです...。でも考えてみれば、僕は絶対こういう状況になるって信じてたんです。何の根拠もなくただ闇雲にね。だからあれだけの機材を用意して...。フジロックってそういう空間なんですよ...多分(笑)」
――前夜祭は凄く盛り上がっていましたね。
「一説には350人くらい集まっていたみたいです。田中宗一郎さんは3時間くらい回したんじゃないかな。普段のGANBAN NIGHTでは1時間位なのにね(笑)。ノーギャラで3時間だもん。おもしろい、タナソウさんはおもしろいよ。前夜祭は、基本的に夜中の一時までで音を止めなきゃいけなかったんです。でもここではっきり書いてください! 本当に本当に僕はこのルールを知らなかったんです(笑)。レッドマーキーの終演が1:00までっていうのは知ってましたよ。でもクラブテントも1:00で終了っていうのはホントに知らなかったんです。ということで、田中さんが終わって、僕が翌日ラモーンズの追悼セレモニーがあるんで集まってくださいというようなことを喋って、そのあとで、スーパー・バター・ドッグの竹内さんを紹介しちゃったんです(笑)。この後竹内さんで3時くらいまで行くつもりでしたから(笑)。ですが、ストップがかけられてそのまま終了。竹内さんゴメンナサイですよ(笑)。『スーパーバタードッグの竹内朋康!!!』って紹介して『ゴメン、やっぱり終わり...』だって(笑)。前夜祭からメチャクチャ情けない、相変わらずのかっこわるい岩盤でした(笑)」
――フジロック本番3日間の話をお聞かせください。
「初日はエイジアン・ダブ・ファウンデイションのパンディットGが夜中の一時半くらいから回し始めました。きっかけは『やってよ』と声をかけて、彼らもやりたがりなので来てくれたんです。名前は忘れましたが新しいMCの人が歌ってくれて、ダブだけでなくてラガとか... 凄い格好良かったですね。その時フッと見るとボアダムスのアイさんが踊り狂ってたり... あとブンブンのメンバーは皆勤賞で最終日まで踊ってくれて、飲んだくれてましたね(笑)。
2日目はイデダイスケ。あいつは『30分全力投球で行きます』と言って皿5枚だけでDJブースに入っていったんですが、結局3時間回しました。ほとんど僕のネタで『楽しい!楽しい!』って叫びながら3時間回しました。で、回しながら酒を飲み過ぎて、最後『豊間根さんもうダメです』と一言残して、僕とDJを代わったら、途端にもう彼の姿はなく、翌日話を聞いたところ、『みるく』のブースの前の椅子でそのまま寝ていて、ホテルに運ばれていった、と。ダメ人間イデダイスケ本領発揮(笑)。
最終日は、田中宗一郎、鹿野淳、大沢睦生(SNOOZER/freak affair)が回しました。そんな感じでしたね」
――今年は、各ブースのサウンドシステムが活発になりましたね。
「それはやらせてくれる側のフトコロの広さですね。決してこれは日高さんと話し合って計画したことでなく、僕らがやりたいようにやらせてくれて、盛り上がった結果ですね。いかに出店者も楽しむかということですね。実際出店者はきついんですよ。どんなに遅くても朝10時に店を開けなくてはいけない。ご存知の通り、岩盤テントは毎朝6時まで。そこからお金を集計して寝るのが7時か8時です。去年もそうですけど、スタッフは睡眠時間は2時間とかです。どうせきついんだから楽しまないといけない。楽しみながら乗り越えた感じですね」
――DJのネタはどういう傾向で持ってきたのですか。
「全く考えていませんでした。全部自分たちの趣味で、出演者ネタは持ってきたけど、特にこだわりませんでした。僕は古い音源が大好きなんで、シュープリームス、ロックパイルとかも持って行ったし。昼間は誰を踊らせることなく好きにかけていたんで、僕らは楽しかったですよ。それでフッと聴いてみると、目の前のライジングサンのブースからディランが流れてきたんで、凄い良かったですね。その辺を考えてやったかどうか知らないですけど、雰囲気に合ってて良かったですね」
――ステージは観ましたか?
「僕は仕事サボりの常習犯で(笑)、毎年仕事があっても観ていたのですが、今年は一番観れなかったですね。でも、結構観ましたが(笑)。ニール・ヤングは89年に観ているんですよ。ニール・ヤングが悪いステージをするわけがなく、絶対いいステージだろう、と。僕はダメなバンドのライヴを観るのが好きで、予定ではニール・ヤングを2〜3曲観てニューオーダーに行こうと思っていたのですが、ニール・ヤングがあまりにも凄くて、動けなかったですよ。本編『LIKE A HURRICANE」』終わって感涙にむせび泣いて、アンコールやるのかなあと思いつつ、ホワイトステージに走ったら、リストバンドをチェックするところで、『ロッキン・イン・ザ・フリーワールド』が聞こえてきて、ウワーッと思って歩を5歩くらい進めたら、今度は『トゥルーフェイス』が聞こえてきて(笑)、引き裂かれる思いで、ホワイトステージに向かいました。
『トゥーフェイス』の途中から観れました。でもニューオーダーはやっぱりダメでしたね(笑)。でもそのダメ感が最高なんだけど。オアシス、マニックスはフルで観ました。トラヴィスは途中から。結構観てんじゃん(笑)。マニックスの『雨に唄えば』のカヴァーは良かったですね。オアシスはノエルのお仕事感がクールで良かったですね(笑)。あとはレッド・マーキーのガーリングやクーパー・テンプル・クローズを観ました。クーパーのメンバーは岩盤のテントに連日来てくれて大騒ぎして、ヴォーカルが盛んに僕に『レッド・ツェッペリンかけろ、レッド・ツェッペリンかけろ』とうるさいので、仕方なくかけましたけどね。メンバー全員踊っていましたよ。あとは、サーカスの連中が朝まで踊っていましたよ。毎日『おれたちのCDは売れているか』とチェックしに来て、そのまま朝まで騒いでいましたね。でも、今年は一番観てないな。あまりウロウロ出来なかったし。それでも僕は観ている方ですね」
――機材のメンテナンスはどうでしたか?
「僕らは機材のプロでないので、詳しいことは分かりません。知識がないので雨が降ったらシートをかける、埃が舞ったら水を撒く程度ですね。で、最終日スピーカーが見事に飛んだと。最終日の朝6時、僕が回しているときに『ボン!』と飛んで終わりでした。ライジングサンのテントなんかではジョン・レノンの『パワー・トゥ・ザ・ピープル』をかけて美しい終わり方だったんですが、僕らは『ボン!』で、終わりです。岩盤らしい終わり方ですね。みんな呆然として『終わりー!』といって終わりました。ダメ岩盤面目躍如!岩盤としては実に美しい終わり方だったと思ってるんですが(笑)。それと、砂埃でお皿がボロボロになりましたね。CDもダメ。外に出したままだったんで、僕のニューオーダーのベストは聴けなくなりました」
――では、後片付けの話を。
「朝6時に終わって、ホテルに帰ったのが8時です。9時には東京から撤収の職人が来たんで、9時に作業を始めました。でも、結構早くて14時には終了して苗場を発ちました。それでもちろん、店に直行です。高崎(岩盤スタッフ)はひとりで朝の新幹線で店を開けるために東京に向かいました。フジロック3日間も実は店は営業していたんですよ。結構売れていたみたいですよ。で、結局僕らが東京に着いたときは20時くらいですかね。いくら交代しながら運転しても30分経つと居眠りがはじまる(笑)。だから休憩しながら東京に向かいました。それで、20時くらいに店に着いて膨大な荷物を降ろしました」
――来年に向けて改善するところは?
「スタッフを増やして、年寄りは楽になることですね(笑)。それは冗談としても、やっぱりスタッフの人数を増やしてまともなシフトくらい組めるようになりたいですね。大のロックファン/フジロックのファンであるウチのスタッフ達がライブをまとも見れないっていうのは、やっぱりどう考えても不健康です。夢は店の経費でスタッフ全員でフジロックに遊びに行くこと。期間中は店閉めてね。僕らみたいな仕事をしている人は、絶対お客さんの立場でフジロックを楽しむべきだって思いますから」
――来年、一時間でいいからDJさせてくれますか?
「そういう要望はゴマンとあるんですよ。ウチも困っているんです(笑)。そういう希望があれば自分たちでフジに出店してやればいいんですよ。出店できるかどうか分からないですけど(笑)」
――今後の予定を教えて下さい。
「9月20日に後夜祭をやります。(詳しくはこちら)。DRY&HEAVYのNANAOさんがまわしてくれるのですが、多分NANAOさんのDJをバックトラックにフリースタイルでマイさんが歌ってくれるんじゃないかな? 6月の前夜祭でも歌ってくれたんですがメチャクチャかっこ良かったんです。6月に見逃した方は必見です。ライブではハラカミさん。見た人なら分かると思うんだけど、フジのステージではホントにイイ意味で裏切られましたよね。僕はハラカミさんのCDを家で良く聞くんですね。大好きで。ずっとGANBAN-NIGHTに来て欲しいと思ってたんですけど、正直言ってちょっと地味かなと...。でもフジのステージではめちゃくちゃアッパーな感じのライブで、これはイケルなって思ったんです。もっと積極的な気分になって、是非岩盤のお客さんにも聞いて欲しいって。フジのブッキングはダブ・スクワッドとタナカフミヤさんに挟まれていたからかも知れないですけど、岩盤ナイトでもDRY&HEAVYのすぐ後にやってもらおうと思っているので期待してください。その他の時間帯はフジの岩盤テントの再現だと思ってください。スーパー・バター・ドッグの竹内さんはフジのリベンジですね。
あとは今回もタナソウさんや鹿野さんが回してくれます。イデ君の乱入も絶対あるでしょう(笑)。賛否両論いろいろあった『CLUB ROCKS(岩盤テント)』ですが、僕としては『REMEMBER FUJIROCK / REMEMBER CLUB ROCKS』っていう感じでブッキングしました。それから9月9日にクアトロで後昼祭をやります(詳しくはこちら)」
――最後にフジロック全体の感想を。
「スタッフやセキュリティを見かけないエリアがあるフェスって、常識ハズレだけどいいですよね。フジロックの会場って会場じゃないよね、場所だよ、ただの場所。あれだけの場所をお客さんに開放してくれてるんだと思うんです。あれだけ広いから、ステージに近づかないとセキュリティを見ないですよね。お客さんは誰も管理していない場所を提供してくれているって考えてイイんじゃないかな。もちろん現実は違うんだけど...。言葉は悪いですけど、でたらめな感じがするのが好きだなあ。あと、もっと純粋に音楽を楽しむ、20歳前後のはっちゃけた子がフジに来て欲しいなと思う。今は休みが取れないとかいろんなハードルが高いけどね...。独り言として言えば洋楽ロックファンの影響力を見せつけて欲しいな。だって洋楽ロックファンってカッコイイじゃん。こんな洋楽不況な時でもファン一人一人がオリジナリティを持って、個人のセンスで好きな音を見つけて、自ら楽しむ姿勢って誇ってイイと思うんですよ。フェスは十分成熟したけど――またこんなこと言ったら日高さんに怒られそうだけど――ファンと言うか参加者に求心力が無いと...。来年以降も楽しみです」
Reported by ORG-nob (Sept 7, 2001)
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