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  • Fuji Rockin' People vol.8です。今回はワールド・レストランの中心人物、ソロモン氏の登場です。(Feb 13, 2002)
  • フェスティヴァル周辺の人物たちを取材したAround The Fest.が始まりました。1回目は小野島大氏インタヴューです。(Feb 10, 2002)
  • 新フジ年明けましておめでとうございます。(Feb 3, 2002)

    and more>>

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    FROM TAISHO
  • ・ Fuji Rockin' People Vol.9 --岡田美和氏--
  • ---Fuji Rock Festivalにはいろんな分野から数多くの人たちが関わり合っています。というので、そんな人たちを紹介しようと思って始まったのがこのシリーズ。その9回目となる今回、ご登場願ったのは第1回目のフジ・ロックからグリーン・ステージの舞台監督として開催期間中はほとんど不眠不休で働き続ける岡田美和氏。確か、大将が「フジ・ロックをやる」と言い始めた97年の始め、「やばいよ、つぶれちゃうよぉ!」なんて言っていたのに、必死になって舞台裏を支え続けてきたのがこの人だ。じっくりと読んでちょうだいね。---- by ORG-master


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     熱い。岡田さんは熱い人である。この日、テープに録音したのが1時間、実際その3倍くらいフジロックについて語ってくれた。その録音したテープの中の会話も最初から最後まで余談もなくびっしりとフジロックのことで埋まっている。この1ヶ月間は、ほぼ毎日テープを聞いて、岡田さんの話をどう伝えようかと苦心していたのである。

     話は舞台監督の仕事、フジロック創世期のこと、フジロックへの思い、「10年たったら仕事を後輩に渡して、俺は客として行くよ」という言葉が特に印象的である。長くて読みにくいかも知れないけど(これでもかなり削った)、是非、最後まで読んで頂きたい。スタッフの方々がこうして働いているおかげで、素晴らしい音楽を体験することが出来るのだ。

    会社で言うと人事と総務を兼務!?

    岡田美和氏  舞台監督の仕事は会社で言うと人事と総務を兼務したような、そんなとこじゃないかな。人によってやり方違うだろうけど、みんなが効率よく気持ちよく出来るように仕事が出来るように考えてあげるのが自分の仕事だと思っている。

     働く人たちに、ごはんや風呂や移動の足とかを用意したり、極端なこと言うと「コインランドリーがどこにあるよ」と教えてあげるとかね。こういう使い方をしてあそこは使っていいよとか、インフラを揃えてあげないとみんな大変だから。

     フジロックが始まってからはグリーンステージの裏にスマッシュの佐潟さんと2人で、あと助手というかペアでいるんだけど、ショウを上手くやる段取りをしてあげる。そんなに僕が「あれしろこれしろ」って言って動いているのではなく、みんながより良くしようと思うことが反映できるように、一人の人が持っているものが、それが良いというなら、みんながそれを出来るように情報を持ち合うとか、そういう気持ちで出来るようにモノを作るっていうのが僕の仕事だから。

     実際ノルマがあって何個のものを何時間で運ぶというタイプの仕事ではないと思う。ソフトウエアみたいなものだと思う。本番中はビッグネームだったら向こうからスタッフがついて来るんでそのスタッフが僕らと事前に簡単な約束や打ち合わせをするんですよ。ショウは何時間で、どういったものを持って来てどうしますよとか。それがその通りに出来るようにサポートしてあげるのが、本番中の主な業務。

     バンドのショウの内容まで立ち入った部分でなくて、彼らのやりたいショウが出来るように調整を取ってあげること。映像を使いたいならスクリーンを手配して、向こうから持って来れないものをこっちで手配したものがあれば、彼らが持ってきたモノをサポートしてセットしたりっていうのも仕事ですし。言ってたのと違うものを持ってきたりもするけど、なるべく使えるようにする。日本に揃わないものをオーダーされたときには、違うものなんだけど、同じ機能で同じように見えるものを提案して、彼らの持ってきたもので出来るように調整してあげたり。今はそれほど向こうから来るアーティストもデタラメでベラボウなことを言う人はいなくなってきているんで、昔に比べると大分良くなってきたんじゃないですか。細かいことでいうと、思い違いというか、僕らが「何とかするよ」といったことに関しては、向こうはやってくれるものだと思い込んでくるし、僕らが「出来る限りは何とかする」というのを、向こうはOK、Yesって取っているし、やりとりの行き違いがあったりする。

    ゴールデンウイーク終わりころから、施工に入る前までに5回か6回くらい行ってま す

     去年のフジロックが動き始めたのは、おととしが終わって苗場スキー場がオープンする手前だよね。10月末、11月始めくらいに1回現地に行って、前回の問題点に対する今回のアプローチみたいな反省会を兼ねて現場に行ったりした。雪があるシーズンは下が見えないわけですから無駄なんで僕らは行かないけど、ゴールデンウイーク終わりころ雪が消えるんでその時期から、実際に施工に入る前までに5回か6回くらい行ってますね。今年はまだ「動いている」っていうところまで動いていないけども(1月8日時点)、気持ち的には今年のいいバンドが決まってくれれば、問題点があった部分に関してスタッフごとに集まっては話し合っている。

     全く何もない原っぱからあの会場を作るわけだからね、施工中は毎日居ますよ。基本的には朝の7時にめしを民宿で食べて、8時に現場に集まって――音響、照明は一番最後の方なんで――まずは、道具屋さん、テント屋さんと建設重機入れてくれる人たちと集まって、各チーフ達と、今日はここをこうしますよと打ち合わせてから、何ヵ所か同時にやっているんで、みんな分かれて作業に取りかかかります。終わるのは、夜の7時くらいかな。僕は次の日の段取りとか、明日やらなきゃいけないことを話したうえで、お風呂に入って寝るのが11時12時だな。健康的な生活をしているという。

    前夜祭でみんなが遊んでいる時に、オアシスの照明のデータ入れを夜通しやってま したよ

    岡田美和氏  ビッグネームのトリとか、トリ前のバンドは、持ち時間長いし、照明は夜だから効くわけじゃないですか。それと彼らがプロジェクションを持って来て映像を流したいなら、フォーカスしたりデータを入れたり、事前にセットアップしてピントを合わせて、スクリーンの位置を決めたり、それに伴って照明のデータを入れたり、そういう作業をえんえん夜は続くんですよ。前夜祭でみんなが遊んでいる時に、初日のオアシスの照明のデータ入れとかを夜通しやってましたよ。その日のショウが終わったら次の日のトリとトリ前の照明のセットをする。大体夜明けが早いんで、6時くらいで見えなくなって打ち切るというような作業です。照明のオペレーターが来ていないグループに関してもライヴですから、こちらで依頼されているグループはそれなりのことをしなきゃいけないので、資料のCDを聴きながら僕らサイドのオペレーターがやるんだけどね。

     もしかしたらフィールド・オブ・ヘヴンはそこまでの規模でやってないかもしれないけど、各ステージ何かしら作業をやっている。おととしのケミカルブラザースはスクリーンを持ってきたので、あのスクリーンを事前に1時間のチェンジオーバーで簡単に仕掛けてあげるわけですよ。彼らのスクリーンを出してきたら積み上げられるようにちゃんと床にもセットして置く場所を並べて「ここにはライト」とか「バンドの機材」とかしるしを入れるわけです。そうしないと1時間ではフルセットでグルっと入れかえて、その通りにポンとはできないんで、そういう作業を夜通しやってますよ。前夜祭の夜から3日目のトリが終わってパッケージするまで非常に忙しいです。開催中は適当にローテーション組んで上手く休みますけどね。民宿まで1キロもないけど、帰れそうもないときは面倒くさいんで裏で寝てたりするけどね。

     野外のああいうところでやる映像はやっぱ大変なのよ。再現性は悪いし、天気に弱いし。でも、スケール感あるからみんなやりたがるんだけども。ケミカルが来たときに「ウッドストック'99では、スクリーンが一枚でまっすぐだったんだよ」って言ってて「じゃ、ぜひ日本では君たちのプランどおりにスクリーン3枚を吊りたいよね」という話で、彼らは非常に喜んでいましたよ。一枚で吊るのとは、見え方やっぱ違うしね。彼らの理想で作ったショウだからそれを見してあげようって努力して、意外と上手くいきましたよ。毎年そういうことをやっているんですよ。

     朝の11時にステージが始まると裏で待機しているって言うか、前の日に来ている機材もあれば、当日来るやつもあって終わったらすぐ積んで成田とかに持っていって海外出さなきゃいけないし、グリーンステージはお客さんの歩くところをトラックが通るんで、それの段取りとか、あるグループによってはプロダクションが一緒に機材を積んでくるんで、グリーンステージには朝10時に降ろすんだけど、午後3時にはどこで降ろしたいとか、それをどこで回収してパッケージしてとか、そういうのを一緒に考えて段取りをしてとかいう作業まであります。

     ライヴはちょこっと観るけど、全部は観たことがない。ニール・ヤングは2曲観たかな、アラニスは僕は一曲も観てないな。裏にいるから音は聴こえるけど、そんなときに限ってアラニスがショウをやっているときに、アラニスの楽屋周りのプロダクションのもの――衣装ケース、パソコン、事務機器――をトラックで取りに行って来て降ろすわけ、アラニスのショウが終わって楽器を積むときにはグリーンステージの裏にプロダクションケースや衣装ケースがなきゃいけないわけですよ。彼らクルーはケースをチェックしてOKだったら、トラックに積んで扉を締めてロックして、バス乗って東京まで帰っちゃう。そんなののやり取りがえんえんあるわけですよ。

     だから人事より総務じゃないかなあ。仕事中はお酒を飲まないのよ、仕込み中とかはね一日の仕事終わって夜、宿に帰って一杯はあるけど、酒好きなんだけど仕事中はお酒飲まないのね。思考能力は低下するし、酔っ払って疲れてきたら走るのやだしってなってくると、それじゃ全然追いつかない。3日間アーティストが終わって機材積み込んでステージがカラになるじゃない、だんだんお客さんが帰って、ステージがクローズになってっていうところまでが仕事だから、次の日の片付けを何時からしますよというのを決めればそこからやっとフリーになるんですよ。そうすると初めて出店の人たちや寺田さんとか仲間だから、「どう?」なんて言いながらウロウロしつつやっと一杯飲むのかな。そんなのがずっと。フジロックは面白いよ。やっている方も面白い。

    苗場は毎年の夏のお祭りみたいなモンで

    岡田美和氏  東京に戻るのはお客さんが居なくなってから、大体毎年僕は4日くらいいるかな。でも解体するのは早いよ。組み立てるのって細かいものをちゃんと用意して、っていうようにそういうところ慎重にやるから時間がかかるよね。全部柱とかバラしてパーツになって、クレーンで積めるようにしてグリーンステージがあったところに並べるわけですよ。明日は運送屋さんが来て、それを積んで帰ればいいよというところまで、帰るところはスケジュールの都合でいないけど、あとは運送屋さんが持って帰ればいいよというところまで大体いますよ。何もない所から原っぱに戻すまで本番入れて20日強。苗場は毎年の夏のお祭りみたいなモンで。

     夏場の苗場はかなり詳しいんじゃないの。冬場の苗場ってね、20年前にスキーに行って以来、混むのが嫌だからこなくなったんでわかんないよね。夏場は僕らの方が詳しいと思うよ。行きつけの店っていうのはないけど、あそこ行けばこんなっていうのは、大体最初、日高さんがね、プラプラしながらお友達になっちゃったような店が多いから、夏の間に酒を飲みに来るのは工事関係者くらいしかいないわけですよ。フジロックシーズンの時にこんな風体のものが行くっていうのは「ロックの関係者?日高さんって知ってる?」「もちろん」なんて言えば、今日も来てたよという話になる。あそこ行って3年じゃないですか、顔見れば「よお」とか言われますよ。

    日高さんが急にね「原っぱで、スゲエのやりたいんだよ」って言い出して】  もともと僕もロック好きでウッドストックとかは僕はガキだったから実際に現場とか行ってないわけなんですよ。「メイキング・オブ・ウッドストック」とかの映画を観ていたりとか、たまたま新宿を溜まり場にしていてオールナイトで週末やっていて、入れ替え制がないのなんていうのはそういう映画かポルノしかないような時に観てたわけですよ。コーヒー一杯でロック喫茶で新譜聴きたいけど、金がなくて買えないのはリクエストしまくって聴いて、これが良いから買おうとか、そういう生活をしていたんですよ。学生時分は。この世界入ってたまたま日高さんに会った時に急にね「原っぱで、スゲエのやりたいんだよ」って言い出して、僕に「お願い」とかじゃ無くて「一緒に見に行ってみない?好きだったら」って言うから、それで最初に行ったんだよ。実際97年のステージを作るまでは僕らで1年半くらい、日高さんで2年くらいかかっていると思うな。天神山なんか雪ないときに、みんなで歩いたな。寺田さんも俺も一回目からやっている主要スタッフは、ほんの10人いないけど、あそこの中全部歩いたよ。今でも下のセブンイレブンあった所から道を辿ってどこにどんなもんあるっていうのは、何となくイメージ湧くよ。苗場とかは去年のあそこがぬかるんでいたって言えば本当、場所言えるくらい知っているし。

     1年目はね、あの天気の中で開いたときにあれだけお客さんいたときに感動したね。俺も待ってたけど、客も待ってたなって嬉しかった。こういう人がいないと絶対日本で出来ねえなあと思ってたんでやる方もね、そういう気持ちで作っていかないとお金とかでなくてね。なんかそういう奴がいないと思ってやってきて、やる日になったとき、ついに始まったってドキドキワクワクしていたな俺。

     始まったら凄かったよね。だって誰もさ、柵が一番前一列しかない中で何万人というコンサートをやったことないわけですよ。ましてあんな天気ですよ。あのころレイジとかレッチリとかなんて言ったら横浜アリーナとか武道館とか、今だと幕張メッセとかでワンアーティストで満杯になって大暴れみたいなのをブッキングしたわけじゃないですか。みんなはスケジュールをいろいろ調整してマサがやるフジロックに出るよ、って来てくれたじゃないですか。電気がダメになるまでやれるところまでやるという意識をもってバンドもやっていたから、お客さんも出来る限りのことをやってあそこにいたわけだよ。

     1回目がのほほんとラッキーに終わっていたら、5年も続かなかったような気がするな。2回目は、まあ豊洲でやったけども、都市型じゃないしサマーソニックをやりたいわけではない。去年フジロックが終わった後、朝霧でやったけど、本当はもっとそういう自由だと思うんだよね。インフラを用意してあげるんじゃなくて、例えば食材を買いたいんだったら地元の農家の人がイモと大根売ってますよとか、自分たちで薪で煮炊きして、それを食すとかそういうことが出来るような。本番を含めての4,5日は、そのスペシャルキャンプエリアは僕らは施工準備している時からオープンしてますよと、通し券では前夜祭の3日前からキャンプ場は本番3日間分持っていたら、来てもいいよ別に。寝ててもいいし、そこで見てればいいじゃんモノが出来上がるところをさ、そういうくらいでいいと思っている。その代わりそんなときは店だって開いてないし、自分で毎日街に行って買い出すとか、米と水と調味料は持って来て自炊して生活するとかしないとコストかかるだろうけど、もっとそういう風になればいいなと思っている。

    朝霧アリーナから360度見回したときに高圧送電線がないのよ

    岡田美和氏  朝霧のときはスタッフがいつも通り民宿に泊まってとかだと、あんまり面白くないんで20人くらいあの会場から車で3分くらい、歩いたら20分以上かかるところなんだけども、すぐ隣接地に農場の人がやっているログキャビンあるんだよ、そこに泊まって朝晩自炊したね。寺田さんと俺とテントを借りてくれているオムニの宇野さんと3人で一生懸命めし作ったね。20人分の次の日の朝めしを作りながら翌日の仕込をしつつ、酒のつまみを作ってなんてことをやってましたね。

     朝霧の良さって初めて見たのが97年が終わって1ヵ月後くらいにあそこ見に行ったんです。他に富士山の周りはどこが出来るんだろうというレベルで、みんなで探検したんですよ。御殿場の陸上自衛隊の総合火力演習をやる場所も見てきたし、富士パノラマスキー場って山梨にある全然富士山が見えないところまで見に行って、アルフィーが昔やったホテルの中庭も見てあの周り全部見て一番燃えたのは朝霧なんだけど、本当にここで出来るのかっていうほど難しかったわけ。初めて見たときにすごく感激したのは、あそこって昼間朝霧アリーナからぐるっと360度見回したときに高圧送電線がなくて、電柱が一本も見えないのよ。で、こうところでやれたらいいなあ、やっぱり苗場は開発なんだよね。スキー場っていう企業が持っているパワーがあって、無理なことも一緒にやれたから出来たと思うんだけど。

     朝霧とか、地元民の理解があって、ああいう場所で一週間やりたいね。例えば、地元のお祭りってあるじゃないですか。普段絶対許されないことが許されちゃう。岸和田のだんじりとか青森のねぶたとか、大きいお祭りがあるじゃないですか、ああいうものは法的な規制が出来る以前からやっているから祭りは別モノなわけですよ。ところが、僕らがやるロックのお祭りは規制の中からやってきてお役所の許認可じゃないけど、申請とか必要なわけですよ。

    儲かる儲からないじゃなくて、10年やってくれ

     フジロックが定着していけば、地元も楽しい、お金も落ちる、いろんな人が来てくれて、いい場所だって言ってくれる、観光客も増える。それを続けられるだけの手入れをしていかなきゃいけないんですよ。日高さんは勝手に夢を語りながらあっちこっちの街に行っちゃうんですよ、そういう男がいて、日本ではなかなか難しいのかも知れないし、その続けていくっていう情熱も失せやすいのかもしれないけど、儲かる儲からないじゃなくて、10年やってくれと。

     コストの面で言えば、日高さんが「お前に払うギャラないよ」と言ったら「めしと寝る場所あったらいいですよ」、「寝るとこないよ」と言ったら「テント持ってきます」、「弁当ないよ」と言ったら「だったら、イモと米と塩下さい」でいいかなと思っている。でも10年やろうと思うんですけど。それが結果的に良かった悪かったっていうのは、その時考えればいい。だけど、ひとつ10年やったときに、こういうフェスティバルのルールというか、作り方というか、学生のときに初めてあれを観たってやつが高校生だったとしても、10年たったらいい社会人じゃない。そういう本当に好きな人が仕事に目覚めて「おれたちがもう10年やるぞ」という意識を持ってくれれば、ずっと続きそうな気がするんですよ。歴史っていうかね、5年じゃエントリーで10年でやっとひとつの足跡をつけると思う。出来る限り僕は10年やって下さいってお願いしているんですよ。すごく難しいんだけどね。いろんな意味でね。

    どっぷり溺れちゃうくらいロックに浸かった何日間、若い頃にそんな体験をしてみ たかった

     例えば、チケットもぎっているところから、ずっとこうトラメガを持って「何とかは何とかで、何とかは何とか出来ません、何とかの際は何とかで」って言っているやついるじゃん。ああいうの全部なくしたいね。本当に自由に集まって来て、自由に生活をしつつ、どっぷりロックに浸る生活、その仕事もせずに3日も4日も音楽と酒と空と星と川の水となんていう生活って出来ないじゃない?それを満喫して欲しいね。

     スタッフというパスをつけた人に聞けば丁寧に教えてくれるんだけど、それを聞いちゃうということというのは、「今考えているんだから言わないで」って自分で答えを見つけて答え合せしたいときには聞いてくれれば大体のことは分かるけど、答えを持ってない人に「これが正解だから、それをやって」という言い方をしちゃいけない。来る楽しみが減るでしょ。お化け屋敷で何回も行っているやつが「ここに来れば怖いの出るから」って先に言ったら俺はそいつ殴るもん。映画を観ていて「あそこでゾンビが出るから」って言えば「うるさい黙ってろ」と言っちゃうじゃん。そういうことだと思う。先に答えを出すって言うズルをしないこと「いいから言うことを聞け」という言い方をしないことが上手く蔓延すればいいなと。

     ホテルなんか無くていいしさ、まあ初心者はホテルだけど、上級者はキャンプ地で焚き火出来るんだったら、焚き火で何か食ったっていいわけだし。キャンプ地は終わって2日後くらいにはメンテナンスしたらゴルフ場としてやっているわけですよ。実際そこで焚き火は出来ないし、いろんな問題があるのだけど、もっとそういう風に自由が出来るといいな。

     僕が目指していて、好きだなあと思いつつ、夢だなあと思うのは、どっぷり溺れちゃうくらいロックに浸かったまんまの何日間なんていうような――東京の自分の仕事のこととか昨日の宿題とかを忘れてしまうような――濃密な音楽漬けの何日間、埃っぽくて汗もかいて風呂も入れないかもしれない、酒飲みすぎて二日酔いかも知れない――そんな体験をしてみたかった、若い頃に。でも、そんなもんは無かったんだね。それをたまたまこういう好きでやっていたら、こういう仕事をやることになっちゃって、それを出来る日があったわけですよ。日高さんやいろんな人の出会いを大事にしたい。

     だから「どうしたら良いんですか?」と聞かれたら「こうしなさい」じゃなくて、どう生き抜いて、どうロックを楽しんで4日間を過ごすのか、お客さん一人一人の楽しみ方と思っているんで。東京ディズニーランドのようなさ、スタッフじゃ無くてキャストって呼んで、お客さんじゃ無くてゲストって呼んでっていう、あんな感覚でマニュアルがあるような形、そんなことは僕は望んでない。

     ロック・イン・ジャパンなんていうのは、実はおととしフジ(ロック)チームがやって、去年は僕は観に行ったんだけどね。実施要項とか見ても僕らが歩いて測量して、その公園の使用の仕方とかも僕らが提案して、それに準拠したものを作っているから、ほとんど僕らが残したものでやられているわけですよ。最初にそれをつくるのが一番難しかったんですよ。天神山で。

     どんな原っぱ見ても日の出日の入りの向きと風向きと、どっから人が来てどっから人が帰るっていうのがあると、みんな巻尺持っていってイメージしますよ、この5年やったスタッフは。「ここ草刈れば、ここが道に一番良いよね」って朝霧のときも藪の中を「ここから人を入れようか」とか、みんなで歩き回ったわけ。それもまた楽しいんだよね。

     なんだろうなぁ、だからもう野外でああいう仮設ステージなんだけど、やるバンドに対しては横浜アリーナとか武道館とか東京ドームでやるというのと変わらないインフラを用意してあげたいわけだよ。演奏に際する問題はね。それ以外に、それだけ素晴らしい自然があって環境があって彼ら自身もドキドキするわけじゃないですか。そこらへんの結びつき、上手くバランス取れていて両方を堪能できるお客さんっていうのは、幸せだと思う。

     僕は10年やれたら後輩に全部渡して客で行こうと思っている。ジジィになっているから電車で行くと辛いから車で行くけど、一生懸命チケットを申し込んで駐車券付きキャンプ券付き3DAYとか買って、テント張って俺は観るつもりだよ。だからそういう日が来たらいいなあと、俺は思っているよ。

    岡田美和氏  なんかこう仕事ってね、やってる仕事に対してさ夢がないと全然つまんないいわけよ。今日、ネジ500個締めればいいんだよっていうのを、俺は熟練したから500個じゃ無くて600個出来るんだよというチャレンジを残してくれなかったら、それは機械の一部であってつまらないわけよ。600個といったときに競争するようになって、精度が悪くなったり「誰が600個?私500やるのに」って比べられるものになってくと憤慨しているわけだよ。でも、こういうソフトウエアって比べようがないんだよね。

     気持ちひとつじゃない?だから、やっている人間たちの顔色とか出るんだと思うんだよ。類まれなタフな現場なんだけども、簡単に言うと現場で機嫌が悪い、テンパっていて誰かにモノを言われたら「うるせー黙れ」とか言っているやつはいないんだよ。僕たちは本当にいい天気だったら喜べるし、いい天気だな頑張らなくっちゃと思うし、こういう天気ならお客さんも幸せだよねと思える日はそう思うし。雨が降ってきたら、埃が立たない程度に止んでくれたら良いのに、ってみんな思うし。

     この商売入って最初の頃思ったのは、人と人と人なんです。バンド、スタッフ、お客さん、みんな人。僕もお客さんで高校生くらいのときにはバンドをやっていたんです。プロにはなんなかったけど、みんなそういう好きなの、聴くのも好き、やるのも好き、観るのも好き、みたいな人が集まるわけです。ということは立場が違えば、その3者って、今ビッグネームのバンドだって5年前はあるバンドのボーヤ(ローディー)だったりする奴がいるわけだよ。その繰り返しなんです。輪廻みたいにね。僕らもその一端だし、バンドもそうだし、お客さんだって、もしかしたら5年後のスーパースターがいるのかも知れないし。立場変わんないんだよ。

     好きなやつは好きなもん観たり、演奏するやつは気持ち良く、観ているやつは最高に気持ち良いし、スタッフでもこれが出来たことを幸せだと思うような、そういう感覚を持ってやれるものが日本には少なかったと思うんです。みんなが一致したのがフジロックだっったかも知れない。みんなが、フジロックは別だよ、あそこはいいんだよというのが、みんなの思いなんです。

     僕だけが良いのではなく、日高さんだけが良いんじゃない、お客さんもバンドも込みで総意だと思う。そういう感覚を持てるから、そういうムードだから、ニール・ヤングが予定の時間の倍やったって「やめろよ」じゃなくて「あのクールなニールが笑っているぜ」ってみんな盛り上がれるわけだよ。「あのニールが笑った」ってみんなでドキドキ、そういうときはみんなファンだな。前から観れなくて、ステージの横から観てるわけだけどさ、そういう場に巡りあえることは楽しいよね。

     チケットもね、日高さんはまだ高いくらいだ、もっと安くしろって言いまくるワケだよ。でもこれ以上安くすると、スタッフはひとつの布団に3人で寝るとか、そういうコストダウンしなきゃ無理っていうところまでギリギリに来てると思うんだよね。収益考えると。このあとどうすんだというときに、おれたちもキャンプする、テント張ってそれで行けるような余裕を持ちたいな。朝霧なんかは、そういうテストケースだと思って一回やってみたくて、それをやだと言わない人に協力してもらった。面白かったよ。

    いいアーティストが集まっていいショウをやってくれれば最高だな

     フジロックで印象的だったのは、やっぱり一番最初の今から客が入ってきた瞬間。夜半から雨が降って、これどうなっちゃうんだろうと思って始めちゃったとき。それと苗場を初めて見たときもドキドキしたしね。苗場で3回やってみたところで言うと、レイアウトが分かって、来るお客さんもそういうフェスティバルだって思ってくるようになって、ポピュラリティを持ってきたらやることが容易になってきたと。その最初の一つ目を作るっていう「やんねえか、みんなで」って日高っていう人はすごいなあと思うよ。そんな馬鹿なことを言う日本のプロモーター、ボスがいるんだって思ったとき、「俺だよ!俺よ!俺にやらせて!」と実は言って、自分で売り込んでいったんですよ。「いいよ、やってみようか」と言うわけで、一年目やったんです。そんなのが縁かな。それだから日高さんが、もう飽きたからいいよ、あの場所は好きじゃないとか言うけど「10年やって下さい」ってずーっと言い続けている。そういうこと。楽しいよ、こういう生活していると。

     まだ目標の半分だからね。今年でやっと半分を越えるわけだからね。いいアーティストが集まっていいショウをやってくれれば最高だなっていつも思う。これはいつもだな。

    追伸

     で、テープに収まりきらなかった話をひとつ。

     「パティ・スミスは、自分のショウが終わったあと、ずっと裏に居てニール・ヤングを待ってたんだよ。パティ・スミスが『ハイ!ニール』って言ったら、ニール・ヤングがそれに応えて二人は抱き合ったんだよ。そしてニール・ヤングはステージに上がってたんだよ」。

    Reported by ORG-nob  (Feb 15, 2002)



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